「持つ者は与えられていよいよ豊かになるが、持たない者は持っているものまでも取り上げられるであろう」

有能な人が報われる社会へ。


急成長するオンデマンド経済:労働市場の未来:JBpress(日本ビジネスプレス)
ということでFTさんちのサービス業のオンデマンドな時代に対する、楽観半分悲観半分な評論であります。まぁ概ね同意できるお話かなぁと。
特に製造業(及び「既に」そうなっている農業)がグローバル化に伴う世界的な競争を強いられている以上、今後国内市場のみで生きていかなければいけない私たち平均的な労働者の多くがそうした(個人向けの)サービス業で生きていかなければいかないわけで。小売、外食、観光、医療介護、建設等々。
それは――当然私たち日本も含む――富裕国であれば当然避けられないトレンドであります。
そうやって生きていくのは、単純に社会保障制度の問題というだけでなく、おそらく個人の『能力』という意味でもずっと大変な時代になる。オンデマンドな時代であれば尚更。雇用の流動性を賛美する人は少なくありませんけど、まぁ副次的効果として起きるのはそういうことなんですよね。

 しかし、政府が政策を、個人主義の進んだ時代に合わせて転換したとしても、オンデマンド経済が個人にこれまで以上に大きなリスクを課すことは間違いない。このような社会で生き残るためには、複数のスキルを身につけ、そのスキルを更新し続けなければならない。大手サービス企業で働く専門家は、自己教育により大きな責任を負わなければならない。

 さらに、自分の売り込み方も学ばなければならない。個人的なコネクションやソーシャルメディアを使ってもいいが、本当に野心のある人なら、自分をブランド化するという方法がある。流動性の増した世界では、誰もが「あなた」という企業の経営法を学ぶ必要があるのだ。

急成長するオンデマンド経済:労働市場の未来:JBpress(日本ビジネスプレス)

激しい競争に置かれる私たちは常にその知識と能力をアップグレードし続けなければならない。技術進歩と競争の(少なくとも今よりは)緩やかな牧歌的な時代には、それこそ自分の周囲だけ、自分の国でだけ、自分がリタイアするまでの時代だけ通用するスキルを持っていれば良かった。
でも今ですらもうそんな暢気に暮らしてはいけませんよね。競合する競争相手は一杯いるし、ついでに日々進歩する新しい技術やソフトウェアについていかなければ確実に労働市場から取り残されることになる。
「上を見て感じる不満」と「下を見て感じる満足」の均衡点 - maukitiの日記
この辺は、以前も少し書いたお話ではありますけども、死ぬほど平等な競争社会だよねぇと。少なくない善良な人たちが夢見る「努力すれば報われる」社会と言うのは、裏を返せばほとんどそのまま「努力できない人は死ぬ」社会でもあるわけで。
当たり前のお話ではありますけど、結局、『個人の評価』というのは絶対評価ではなく相対評価なのです。誰もが頑張っている状況下で自分が突出しようとすれば「更に」頑張る必要がある。皆が頑張れば頑張るほど、自分はそれ以上に頑張らなければならない。そしてその競争に取り残された、つまり大多数の平均以下の人たちは逆に自身への報酬を下げることでしか競争できなくなる。ザ・底辺への競争。
『神の見えざる手』は相対評価によってこそ機能するのです。かつてならば優位性を誇った長所は、他の誰もが修得すればそれは必要最低限のハードルにしかならない。

  • 本題とは微妙にズレますけども、この点こそ先進的な現代社会ではほとんどどこでも老人がお荷物扱いされる理由の一つであるんですよね。伝統的社会であれば老人が持つ長年の知恵の有効性はずっと高い一方で、しかし今ではあっさりと時代遅れになり陳腐化してしまうから。もちろんそれを乗り越えるだけのユニークな知識や経験を持ったご老人だっているでしょう。でも、そんなのは絶対に少数でしかない。
  • ちなみにもう一つ余談ではありますが、こうした外部委託という個人によるオンデマンドなやり方って結果として所得格差拡大に寄与することになっているのが大きな経済問題でもあるわけで。つまり、今の日本でも『好調な』大企業を中心に「給料を上げよ」という声が高まっていますけども、逆に言えばそれを派遣社員や外部委託にしてしまえば「好調であっても」給料を上げる圧力を回避できるという意味でもあるのです。故に賢い企業であればあるほど、多少余計な費用を嵩むことを許容してでも業務の多くを派遣や外部委託する。結果として所得格差は増大し、ピケティ先生の世界へ。
  • だからこれって個人の責任として責任回避をしようとするブラック筆頭なワタミや、あるいはコンビニフランチャイズの労働問題と限りなく地続きなんですよね。賢く狡猾な企業であればあるほどそうした外部委託等を活用することで、実際には当社社員ではなく個人事業主の選択の範疇である、と主張するために。


かくして益々進むノマドでオンデマンドな時代。アダムスミス先生の言った補償賃金格差仮説が正しく機能する世界、あるいはマタイの福音書な世界へ。果てのない拡大競争の先に何があるのか。
もうやだこんな世界。


みなさんはいかがお考えでしょうか?