狂信者と「社会」を分かち合う苦難に耐えられるか

経済危機が起きない限りは大丈夫そう。



テロの陰にいる狂信者と世界を分かち合う方法:JBpress(日本ビジネスプレス)
「世界を分かち合う」ですって、まるでドラクエ的な魔王と勇者のようであります。

トゥルー・ビリーバーたちは我々を傷つけたいと再度思っている。しかし彼らの脅威は小さく、自由民主主義が20世紀に乗り越えてきた数々の脅威とは比べものにならない。危険であることは認識すべきだが、過剰反応は禁物である。この脅威もいずれは収まるのだ。

テロの陰にいる狂信者と世界を分かち合う方法:JBpress(日本ビジネスプレス)

まぁこれはアメリカでも言われたテンプレなお話ではあるんですよね。恐怖に駆られて行動してもテロリストを利するだけだと。衝撃の大きさはともかくとして、しかし実数としてはそこまでではない。確かに概ね正論ではあります。故にそのテロによる経済的・社会的・政治的衝撃を、できるだけ抑制されたものにする必要がある。
でもまぁ解っていても実際にそうできるかは別問題なわけで。アメリカでもそうだったように、まさに彼らはその文化的中心に攻撃を受けた時、それはもう右往左往することになった。パニックやら被害妄想やら先制攻撃主義やら。私はシャルリーやら。


「外敵」として恐れるアメリカ、「異邦人」として恐れるヨーロッパ - maukitiの日記
タイミング良いのか悪いのか、ちょうど事件数日前の日記でも書いたようにアメリカに関して言えば概ねこの「世界」というのは文字通りの意味で適切だと思うんですが、むしろヨーロッパが直面しているのはこのトゥルー・ビリーバー=狂信者と分かち合わねばならなくなっているのは「世界」であると同時により身近な「国」であり「市民社会」でもあるんですよね。
地元の過激派こそを恐れなければならない人びと。
『9・11』以降起きたテロ事件でアメリカでのそれと違っているのは、中東諸国内部やイギリスやスペインなどで起きたテロで特徴的なのは「地元組織」だったという点にあるわけです。もちろんアメリカでもそうした動きがまったくないわけではないものの、しかし米国がテロ対策上に持つ優位性というのは基本的には国内に過激分子を抱えていないという点は当時から言われていました。ところが今回の件が「再び」証明したように、ヨーロッパではそうではないのです。単に外国人工作員というだけでなく、社会に順応できないまま怒りを鬱屈させた国内イスラム教徒をも警戒せねばならなくなっている。故に彼らはアメリカとはまた別の次元で、イスラム国の伸長を恐れている。


こうした背景は上記テロ事件や暴動や排外主義の背景だけでなく、世論調査結果などから実際の数字としてもずっと言われてきたお話でもあるんですよ。つまりアメリカのイスラム教徒よりもヨーロッパ(以前はイギリスが特に高かった)に住むイスラム教徒の方が、自爆テロに対する共感を占める割合がずっと高かった。それから「多文化主義は死んだ」という言説が盛り上がり、フランスなどを中心とするヨーロッパでは移民の扱いをマジ失敗してきたかもしれないと言われるようになったわけで。
かくしてアメリカよりもずっと難しいポジションに立たされつつあるヨーロッパ。(多少劣化したとはいえ)アメリカの新規移民を吸収し社会の一員とする能力は、それでも西欧諸国よりはずっとマシだったっていうオチ。さすが移民国家を自称するだけのことはあります。いやまぁむしろ経済的格差や黒人差別はずっとひどいわけですけども、しかし逆にそうしたことが「社会からただイスラムだけを隔離しない」という意味でそれを緩和するあるいは隠す一因にもなってしまっているのかもしれませんけど。
いやぁアメリカってすばらしいですね。


ともあれ、これからヨーロッパはアメリカとはまた別次元での共存を模索していかなければならないのでしょう。まぁそれでも概ね穏便に行くんじゃないかと個人的にも楽観的に思います。過去の扇動政治家たちの歴史が教えてくれるように、致命的な経済危機さえなければ。そのダブルパンチこそが最後の引き金を引くことになるから。
ということで、今のフランスも経済危機さえなければ「分かち合う」ことはできるんじゃないかな。


(主に経済を)がんばれヨーロッパ。