「幻想」に過ぎなかった他人事感が終わる時

(確率の問題である以上決して避けられない)巻き込まれ事故は辛いよ。


イスラム国、邦人人質2人の殺害を脅迫 身代金2億ドル要求 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News
ということで大騒ぎの人質事件であります。
「イスラーム国」による日本人人質殺害予告について:メディアの皆様へ - 中東・イスラーム学の風姿花伝
まぁこの辺は素晴らしいタイミングで新刊と重なった池内先生が大変為になるお話をしているので参照しておけば概ねよろしいのではないでしょうか。まぁ人質事件と言ってもイラクの時の記憶もまだかなり残っていて、基本的には冷静に対処できていて素晴らしいとは思います。ぶっちゃけあの時と今では新刊タイトルの通り『イスラム国の衝撃』という意味で、決定的に現代国際世界にとって実際の内実は異なるわけですけども、日本のそうした無関心及び無知こそが冷静な対応の一助となっているのは皮肉で愉快なお話です。



ともあれ、まぁこの辺は池内先生が新刊でも指摘しておりますけども、銃撃事件に直面したフランスと――より小さなレベルでありながらも――ほぼ同様の問題に直面しているのでしょうね。つまり、常日頃「国際社会の一員」であると自負している日本の私たちは現代社会に生きる市民として『イスラム国』にどのように対処するべきなのか。

神の啓示による絶対的な規範の優越性を主張する宗教的政治思想の唱導は、自由社会においてどの範囲まで許され、どこからは許されないのか。日本の法執行機関と市民社会それぞれが、確固として基準を示しておく必要がある。「イスラーム国」への対処は、日本の自由主義体制と市民社会の成熟度を問う試金石となるだろう。*1

彼らのテロに巻き込まれたから、あるいは巻き込まれなかったから、というお話ではなく根本的なそうした問題について避けて通るべきではないと。これまでは幸運にも彼らのグローバルな振る舞いに概ね無関係ではいられたものの、ついにそうではなくなった。これは世界的なビッグウェーブだと言われながらも、しかしやっぱり本邦の大多数にとって他人事でもあったわけで。そもそも「幻想」に過ぎなかった他人事感が終わる時。各所で言われているように今回の日本の件はまぁ明らかに主戦場でなく巻き込まれ事故でしかなく、だからこそ、単純な外交事案と言うよりはやっぱりそうした対処の仕方こそが「日本社会」のあり方として問われているのではないかなぁと。
そうした自らの基本的立ち位置を考えずに人質事件の原因の方をアレコレ考察しようとするのは、それは致命的に主従が逆ですよね。イスラム国が気に入るか気に入らないかではなくて、自分たちがどのようなポジションにまずあるべきなのか。その上でどう対応するべきかは勿論あっていい。でもそうした確固たる基準ナシにやろうとするのはほんと場当たり的で最悪の選択肢だよねぇと。


私たちは『イスラム国』のような存在に対して、一体どのように振る舞うべきなのか。
みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:イスラーム国の衝撃』P167