「ただの戦争」の良い面悪い面

対テロ戦争から通常戦争化がもたらすもの。


見直される「対テロ戦争」 通常戦争の様相を強めるイスラム過激派との戦い:JBpress(日本ビジネスプレス)
ということで『対テロ戦争』がふつうの戦争になったよオチ。

 イスラム過激派が勢力を伸ばすにつれ、彼らとの衝突は次第に通常戦争と似た様相を呈するようになった。今では正規軍が領土の支配を巡ってジハード集団と戦っている場所がいくつかある。欧米の空軍はISISを爆撃している。

 ナイジェリア軍はチャドとニジェールからの派遣部隊の支援を受け、あまり効果的ではないとはいえ、ボコ・ハラムと戦っている。フランスは、ジハードの脅威を撃退するために、マリに軍を配備した。パキスタンはペシャワルの襲撃事件に突き動かされ、タリバンに対する軍事行動を再開した。

 ジハード集団の暴力の問題の解決は、長期的には、軍隊同士の戦いというよりは思想の戦いになるだろう。しかし、当面は、アフリカ、アジア、中東でイスラム主義運動に対する軍事作戦が行われている。結局、「対テロ戦争」はやはりあるかもしれないのだ。

見直される「対テロ戦争」 通常戦争の様相を強めるイスラム過激派との戦い:JBpress(日本ビジネスプレス)

以前からちょくちょく書いてきたお話ではありますけども、こうした通常戦争への変化はまぁ少なくとも「軍事的には」アメリカにとってメリットが大きいと思うんですよね。だってまさにアメリカ軍と言えば核戦力だけでなく、通常戦力でも圧倒的な世界最強国家でもあるわけだから。人類史においてすら最も強力な軍隊を持っていると言っていい現代アメリカ軍。ただそうした優秀さは、まぁ無茶な政治的要求や進歩した道徳価値観によってしばしば抑制されているのです。もう第二次大戦の頃に日本やドイツにやったようなひたすら容赦のない軍事作戦――原爆投下を筆頭に殲滅戦や戦略的空爆――なんて不可能でしょう*1。そうした彼らの優秀さは、治安維持やテロリスト逮捕など、通常戦争の枠組みから外れれば外れるほど相対優位は薄れていく。だからこそ世界最強だったはずのアメリカ軍はあれだけ苦戦していたわけで。
――故に『通常』戦争になればなるほど、軍事面では優位に立ちやすくなる。


ただ一方で、そうした通常戦争への変化は「政治的には」おそらくデメリットが大きい。散々指摘されているお話ではありますが、もう先進的な現代人たる私たちはそう簡単に戦争には賛成しないわけですよ。市民社会に打撃を直接与えるテロへの対抗とただの戦争にはやはり越えられない壁がある。それは何も「平和を愛し憲法9条を掲げる日本人」だけが特別にそう思っているわけではない。ていうか本邦のあの辺の過激な平和主義の人たちってホント海外の人たちをバカにしてますよね。彼らだってほんとうに素朴に平和を愛しているはずなのに、なんであんな傲慢な自国事大主義に無邪気に浸れるのかいつも疑問に思います。平和志向という意味で言えば概ね(先進民主主義国家であれば)どこだって一緒なんですよ。だからこそ戦争をする民主的政治家たちは様々な虚実を混ぜ合わせて「これは戦争とは似て非なるものだ」と国民世論を『説得』する。治安維持の為に必要だとか、テロリストを殲滅する為に必要だとか、虐殺を防止する為だとか。もちろんそこには多少のウソは含まれているものの、かなりの面で真実も含まれている。つまり、戦争を行うにあたって(特にアメリカの)政治家たちはただ軍事的要因だけでなく国民世論こそを気にしなければならない。しかし通常戦争化するということは、軍事的脅威が当該域に限定されるという意味でもある。そこで国民たちは多少騙されることはあっても、やがてリアルタイムの報道を見てすぐに疑問に思うようになるでしょう「(卑劣なテロリスト相手ではない)なぜ我が軍隊がそんなところで戦い兵士が死なねばならないのか?」と。まさにウクライナやシリアやイラクアフガニスタンで起きているように。
――故に『通常』戦争になればなるほど、国内政治面では戦争遂行の為の世論形成が難しくなる=不利になっていく。


さて、是非はともかくとして、対テロ戦争は現地既存秩序の融解と合わさって勢力台頭を重ね、ただの武装勢力からレベルアップすることで通常の軍隊に近い次元に達しつつある。まさに本来の『軍隊』の役割通りにより打倒しやすい相手となる一方で、しかし相手がテロリストから『敵軍』となることはより厭戦気分が増しやすい相手ともなる可能性が高い。
通常戦争化は、果たして一体どのような帰結をもたらすのでしょうね。


みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:核兵器の投射能力もそうだし、おそらく第二次大戦中の数か月に及ぶ都市空爆は本気の現代軍事技術があれば数日で終わる。