「テロリストがバカなことをしたせいで政権批判ができる空気でなくなった」と正直に言えない故に、斜め上の陰謀論を持ち出す人たち

「最優先=人命」なのはいいとして、では二番目と三番目はなぁに?


イスラム国人質事件で新聞各社が“安倍批判”自粛!? 露骨な擁護記事も登場|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見
先日の日記でも少し触れた「棚上げして政権批判」がされないことに怒る人たち。

 しかし、「人命がかかっているから慎重に」というが、新聞やテレビが手控えているのは安倍政権批判であり、イスラム国に対しては「許しがたい」「言語道断」などと、論陣をはっているではないか。ようするに、マスコミが刺激しないよう配慮しているのは、イスラム国でなく、国内の空気なのだ。

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いやまぁ、なんというか、真面目にバカなことを言っているのか、それともバカな振りをしているのか判断に悩む所ではありますよね。まぁ確かにバカなフリをすればこうした非常事態でもバカなことを言い続けるハードルは確実に下がるので、いつだって「狂人のフリ」をすることに利点はなくもないとも言えるんですけど。


結局のところ、何でこうした事態で所謂『政権批判』封印論が出るのかと言えば、そりゃまぁ優先順位の問題でしかないわけですよ。それが建前か本音であるかはともかくとして、多くの人が(おそらく上記のバカなことを書いている人でさえ)人命最優先に出来る範囲で全力を尽くすべきであることは間違いないでしょう。
――ではその次に考えるべきこと、悲劇的な「人命最優先」な事態に陥ったのは最大の責任は誰のせい?
というとまぁそりゃ大多数の人にとってはイスラム国であるわけですよね。故に「イスラム国に対しては「許しがたい」「言語道断」などと、論陣をはっている」のは当然でしょう。だって実際問題として彼らが悪いんだから。
もちろんそんなイスラム国の「次」に誰が悪いのかは議論があって然るべきでしょう。もしかしたらほんとうに安倍政権が悪いのかもしれないし、他の誰かかもしれない。個人的には「2億ドル」を取り下げるどころか、今回の件を受けて更により巨額の支援を申し出ることこそが、国際社会における日本のポジションを高めることになるとも思いますけれども、まぁやっぱりそれは終わってから議論すべきお話ではあるでしょう。
でも絶対にその『一番』が不動であるように『二番目』だって不動でなくてはならないのです。


犯人は悪くない、悪いのはそうさせた社会・政府・環境である。
こういうのを一般的に「テロリストの論理」というべきものであるわけで。古今東西、正当性のない暴力に依る一発逆転に掛けた彼らはそうやって自己正当化してきたのであります。彼らを非難せずに他の何かを「優先」することはその優先順位が狂っていることを周囲に誤解させかねない振る舞いでもあるわけですよ。人命最優先と言いながらも暴力的手段を容認することになりかねない。故にこうしたテロリズムによる非常事態では、アメリカやフランスやイギリスなどまぁ多くの政権で支持率が回復することになるのです。だって優先順位は決まってしまうから。


この優先順位を見ないままイスラム国と政府批判を同列に語ろうとするのは、やっぱりバカなのかそれともバカのフリをしているのかどちらかなのだろうなぁと思います。
それこそ身も蓋もなく「テロリストがバカなことをしたせいで安倍政権批判ができる空気でなくなった」位言えればいいのにね。実際、それはその通りなのだし。テロリストは、少なくとも短期的には、政権批判を抑制する状況を生み出す。だから普段政権に批判的な人であればあるほどより強く怒るべきなのにね。まさに彼ら自身の政治目標を阻害しているわけだから。
でも、そんなことあけすけに言えない人たちや、あるいは政府方針と少しでも一致したら自身の政治信条が穢れると考える人たちは、第三の選択肢として斜め上の陰謀論に走ることで自らを慰めるのでした。「政府が言論弾圧をしたからだ」とか「巨大な陰謀によって彼らは利用され、故にこうした状況が生まれたのだ」なんて。(もちろんそれ自体は正当な批判でもある)政権批判をする空気でなくなったのは、それこそ彼らテロリストの行為によってこそ、こうなっているに過ぎないのに。


「テロリストがバカなことをしたせいで政権批判ができる空気でなくなった」と正直に言えない故に、斜め上の陰謀論を持ち出す人たち。まぁなんというか難儀な人たちですよね。それを許容してしまう私たちも悪いとは言えるんですけど。
それならまだ正直に言った方がマシだと思いますけど、何でそうしないのかちょっと不思議ではあります。彼ら自身のプライドや羞恥心が許さないのかもしれませんが。


みなさんはいかがお考えでしょうか?