移民問題に悩む欧米社会への高度な皮肉かな?

大正義である『反・人種隔離政策』を掲げることの副次的効果。


曽野氏コラムは「人種隔離容認」 南ア大使が産経に抗議:朝日新聞デジタル
曽野綾子氏「アパルトヘイト称揚してない」:朝日新聞デジタル
うーん、オメガバカ。おわり。











でもまぁそれだけじゃ日記としては寂しいので隔離政策についての以下適当なお話。



確かにこの彼女の発言は現在の時代性における国際(欧米)社会の常識=正義観においてまったく相容れない主張なのは間違いないでしょう。
ただそれでも、一部の人が既に指摘していますけども、そんな素晴らしき建前としての良識とは裏腹に移民を受け入れている欧米社会の多くでは「事実上の」隔離社会が自然に構築されているのもまた事実ですよね。
だからこそ、彼らはその現実を「決して積極的に容認しているわけではない」というポーズを取るためにも、悪しき人種隔離政策についてより大きな声で反対している*1、という彼らの本音と建前の背景事情はまず理解しておくべきかなぁとは思います。
ネトウヨもドン引き!曽野綾子が産経のコラムでアパルトヘイト推奨 - Togetter
その意味で、今回の件で所謂「ガイアツ」を利用しようとするとても日本人らしいみなさんは一杯いらっしゃいますけども、ぶっちゃけそれってものすごく高度な皮肉になっていることを解っているのかなぁと余計な心配をしてしまいます。もちろん今回の「日本も(今は存在しないが)アパルトヘイトを取り入れるべきだ」的な彼女の発言はほとんど弁護の余地はない。しかし一方で、彼らが外圧として利用する欧米社会には、どう言い繕おうが既に現実にあるわけですよ。「懸念される」日本よりもずっとひどい形で。様々な社会障壁やある種の効率性によって特定の移民だけで自然発生的に集まり、あるいはロマなんかを強制排除したり、地元住民から遠巻きで多かれ少なかれ不審がられるコミュニティーというのが。
もちろんヨーロッパやアメリカで人為的な政策としてそれがなされているわけでは絶対にない。しかし、それでも、彼らはそのような地域が生まれるのを敢えて解消しようともせずこれまで暗黙の内に容認してきた。それは当事者の自発的選択の結果だ、とかまるでどっかの強制性の否定のような言い方で。
それなのに「日本にはこんなバカなことを言う人が居ますよ」と彼らに吹き込むのは、もし受け取る側がある程度物の解った人間であればそれこそ『皮肉』だと受け取るんじゃないかなぁと。もしそれを狙っているのならば、欧米社会の欺瞞を暴くものとして、それはそれでまぁとっても素敵だとは思いますけど。


銃撃事件に揺れるデンマーク 容疑者は警察にも存在を知られていた22歳の男:JBpress(日本ビジネスプレス)
最近でもまたデンマークでテロ事件がおきましたけど、やっぱりその対応策として彼らがやろうとしているのはそうした現地イスラム系移民社会との『対話』であるわけですよね。

 複数の政府機関が過激派対策に関与するデンマークの強力なテロ対策法制は、他の北欧諸国では1つのモデルと見なされている。またデンマークでは、急進的な思想に走る恐れがある個人のもとに研修を受けたメンター(助言者)を派遣したり、シリアから帰還した戦闘員を社会復帰させるためにカウンセリングを施したり、そうした人々の家族を地域で支援したりしている。

銃撃事件に揺れるデンマーク 容疑者は警察にも存在を知られていた22歳の男:JBpress(日本ビジネスプレス)

こうしたそれなりに真っ当な地域社会による支援=対応策が証明しているのって、ほとんどそのまま「これまではそうした事がなされていなかった」という現実でもあるでしょう。
実際問題として、それが人為的であろうが自然発生的であろうが関係なく、現在の欧州で頻発するホームグロウンテロやあるいはアメリカにおける貧富層での地域社会の分断なんかの事例を筆頭に、そうした亀裂のある社会は民主主義にとって害悪でしかないわけですよ。
故に今回の曽野綾子さんの発言は擁護できないものでもあります。正義の問題と言うだけでなく、隔離政策は近視眼的な摩擦軽減には役に立っても、長期的には必ず社会分断をもたらし民主主義社会にとって致命的な悪影響をもたらすことになるから。そもそも民主制度というのは、共通の日常生活を通じることで生まれる価値観のすり合わせによってこそ、安定した社会を構築することが可能となる。宗教にしろ人種にしろ貧富にしろ、そこでそれぞれに対話も接点もないまま分断されていくとそれらはどちらも意見が先鋭化していくだけでしょう。それじゃ共同体なんて維持していけるわけがない。
まさにその「失敗例」が、現状の欧米社会であちこちで見られる風景でもあります。


まさにヨーロッパでの多文化主義の失敗=現在の苦境と言うのは、そうした移民を――目に見える差別ほどではないにしても――礼儀正しくほとんど空気として扱い対等の対話をしてこなかった故に起きた社会分断が招いたものだと僕は理解してします。
その意味で、現状でその社会分断が生む困難を抱え真剣に悩んでいる欧米に向かって「日本ではこんなバカなことを言ってる人が居ますよ」というのは、まぁやっぱり高度な皮肉を言っているようにしか見えないよなぁと。


みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:ついでに人種差別問題だって同じですよね。