もはや異質文明ではない

「お客様扱い」しなくなったことを進歩と呼ぶべきか、あるいは後退か。


宮崎監督、異質文明風刺は間違い 描き方に持論 - 47NEWS(よんななニュース)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150217-00050003-yom-ent
いやまぁ確かに正論ではあります。もし仮に仏紙襲撃事件を念頭に置かないのであれば、僕も全然同意します。
あるいはそれを日本に当てはめて言うのならば概ね正しい一方で、じゃあ今のヨーロッパでもそれを『異質』と単純に片づけるのは正直まったくズレた解答だよなぁとも思いますけど。むしろ現代ヨーロッパで殊更にイスラムを『異質』とすることが許されなくなってきているからこそ、今の問題が起きているのを解っているのかなぁと。
その意味では、先日の曽野さんの妄言と同じレベルで、それでも何気に面白く重要なことを言っていると思います。日記のネタになる的な意味で。

 宮崎さんは風刺画について「まずもって自国の政治家にやるべきであって、他国の政治家にやるのはうさんくさくなるだけ」と指摘。その上で、他の文明が崇拝しているものを対象にすることは「やめた方がいい」と話した。

宮崎監督、異質文明風刺は間違い 描き方に持論 - 47NEWS(よんななニュース)

これまでの日記でも散々書いてきたように表現などの諸自由権って「政治権力からの自由」であるわけですよ。それは個人による野放図な自由放任なのではなくて、政治権力からの恣意的な干渉を拒否する為にある自由であります。
その意味で言えば、上記発言はまったく正しいし、それを他国政治家にやるのは――もし他国政治家から不当な干渉や圧力を受けているのならばともかく――まったく見当違いのお話ではあるでしょう。


じゃあ、今のヨーロッパにとってイスラムは縁遠い異質文明なのかと言うと、やっぱりそうではないわけですよね。日本で言えばそれは正しいかもしれない。イスラムどころかキリストですら1%に満たない超少数派(麻生さんのような例もありますけど)で、その意味ではほとんど異文明と言っていい。
ところがヨーロッパ諸国ではむしろ異質扱いすることが許されなくなってきている。もう欧州主要国ではどこでもイスラム系の住民割合は5%を超えて10%に届かんとしている。イギリスなんかでは既にイスラム信仰な国会議員も存在していたりする。
だから「今になって」ヨーロッパでこの問題が盛り上がっているのは、単純に彼らの寛容性が無くなったからとかそういう問題ではないわけですよね。いや、もちろん経済危機に際しての非寛容性が高まっていることもあるでしょうけど。彼らは「良くも悪くも」既に自国社会の少なくない一部を占めつつあるからこそ、彼らヨーロッパの自国政治文化に則ってイスラム教への揶揄が行われるようになっているわけで。もちろんそこにギャップがあるのは間違いない。よく日本でも政治家における女性割合が少なくてケシカランとか怒られていますけども、それを言ったら彼らだってどう見ても上記人口比からすればイスラム系移民の「割合に対して」政治家の数は少なすぎますよね。


正しく民主主義の原理に則って、イスラム系政党が生まれるかもしれない。それはもう近い将来、ヨーロッパ諸国に確実にやってくる未来であるわけですよ。
近未来の「フランス・イスラム政権」、小説家ウエルベック氏新作 写真3枚 国際ニュース:AFPBB News
仏紙襲撃の当日、物議かもす小説が発売−イスラム教徒の仏大統領誕生 - WSJ
仏紙襲撃事件当日に丁度素晴らしく良い(悪い)タイミングで発表されたあのフランスの未来を描いた小説は、人口動態を見ればそこまで荒唐無稽というわけでは絶対にない。そして、だからこそ、表現の自由を守るためにも彼らはイスラム教に対しても「権力からの自由」を今になって再確認しようとしているのだと僕は思っています。
この辺はオバマさん以後になって、むしろ黒人との対立が深まったアメリカと同じ構造を抱えているのでしょう。まさに黒人大統領が登場した故に、黒人に対しても正しく政治的揶揄をも許されるべきだと考えられるようになったからこそ、そこで起きる摩擦はより頻発するようになった。


その意味で言えば、ぶっちゃけ今回の宮崎さんの「異質文明だから〜」云々って下手すれば、ヨーロッパでイスラム系住民を「同じ社会の一部」として扱わない奴らだという差別的な言説になってしまうんじゃないかなぁと。彼らは「移民を受け入れることで」イスラムが単純に異文明でなくなりつつあるからこそ、ああして苦しんでいるのにね。
それなのに「異質文明風刺」というのは、現状認識としてちょっとどうかと思います。


まぁヨーロッパにしてもアメリカにしても、やっぱりそこに現実と認識のギャップがあるからこそ、こうして問題にもなっている面があるのは確実でしょう。イスラムに対しても正しく政治権力の干渉を拒否できるだけの自由があるべきだと言っても、現実には「まだ」イスラムは圧倒的な政治的・社会的弱者でもあるわけで。それはアメリカにおける黒人も同じでしょう。
彼らは正しく――嫌々なのかもしれませんけど――同じ社会の一員だと認めるようになりつつあるからこそ、同じ扱いをしたっていいのだろうと(ある意味では拙速に)考えるようになった。それが半ば『踏み絵』的構図になっているのはなんだかなぁと端から見ていて思いますけど。


それを進歩と呼んでいいのか退化と呼ぶべきなのかは判断に苦しむところではありますよね。
みなさんはいかがお考えでしょうか?