イスラム(過激)をケンサクケンサクゥ! する若者たち

素晴らしきインターネット時代のイスラム


米大統領、過激派対策でイスラム指導者に若者の教育を要請| マネーニュース| 最新経済ニュース | Reuters
うーん、まぁ彼らがそれを出来ていればそもそもこんな事態にはなってなかったのでしょうなぁと生暖かい気持ちになるお話ではありますよね。

[ワシントン 18日 ロイター] - オバマ米大統領は18日、米国政府が開催している過激派対策の会議で、「暴力的過激思想」への対応について、米国内のイスラム教徒社会の協力がもっと必要だと指摘し、特に若者の教育への関与を呼びかけた。

同大統領は「イスラム教指導者は、我々がイスラム教を弾圧しているなどと思われないよう、より一層働きかけてほしい」と述べた。イスラム過激派は、西側諸国が対イスラム戦争を仕掛けているとけん伝している。

米大統領、過激派対策でイスラム指導者に若者の教育を要請| マネーニュース| 最新経済ニュース | Reuters

この辺はイスラムとインターネット普及辺りの研究で基本的な点として言われるお話ではありますが、つまるところ現代イスラムにとってやっぱりインターネットの影響は、特に先進的通信機器を持つ若者たちにとって、決定的に大きいわけで。素晴らしきインターネット社会は、その『情報』を多数派も少数派も主流なモノも異端なモノも全て等しく陳列してくれるから。
――まさにインターネットによってイスラムが日常化=個人化した故に、繊細な若者たちは(舗装すらされていない獣道的な誤った)ロクでもない道に踏み込むことさえも簡単にできてしまえるようになった。
グーテンベルクの印刷革命の際のキリスト及び『聖書』のあり方と同じように、イスラムの『コーラン』のあり方もインターネット革命で決定的に変化しているんですよね。かつては神聖さの極致にあり、程度の差こそあれどそれなりの知識と経験を積み重ねた学者や宗教的権威者から授けられていた教えは、もう今の時代、どんな言語でもどんな解釈でもケンサクケンサクゥで一瞬で答えにたどり着けてしまう。
そこで解答の提供者が「どのように」コーランを解釈しているかはまったく別問題なわけですよ。そこで提示される解答は(もちろん検索結果の表示順位の差はあれど)素晴らしいことに保守派だろうが穏健派だろうが過激派だろうが等しく公平に提示してくれる。何を選ぶかは本人の気分次第。おそらく、探そうと思えば自分が見たい答えを見つけることだってできるでしょう。
イスラム知恵袋」「教えてイスラム」ばりに、自分の見たい聞きたい信じたいイスラムの答えに辿り着くネット世代の悩める若者たち。


まぁこの辺はネット社会のあり方について、私たち日本でも色々議論されている事例と結構似ているんですよね。本邦でもああした質問サイトなんかで見られるような風景はやっぱりあちらでも同じなんですよ。広大すぎるネットにおいては、その意見がどんだけ異端であろうが、まぁ探そうと思えば辿りつけてしまうし、自分が聞きたいことを語ってくれる人にも出会えてしまう。政治的な陰謀論な人たちが幾らでもそうした情報にたどり着けてしまうように、イスラム過激派に(潜在的に)傾倒するだろう人たちも、そのような情報に容易にたどり着けてしまう。
まさにアルカイダや『イスラム国』な人たちがそうしたネットを積極的に利用しているように、インターネットによって間口が広がったのは間違いなく、それって在来の宗教指導者たちの影響力の低下とほとんどイコールなんですよね。本来であればより支援が必要な孤立している若者たちであればあるほど、最早そうした人たちはあっさり迂回されて、様々なイスラムに触れることになる。
そうしたバッファーやハードルの役割を果たしていたそれがなくなったからこそ、つまり今のような状況が生まれてしまっている面はやっぱりあるのでしょう。


こうしたことを当時の出版革命と同じく情報革命による『宗教』の個人化、という意味で見ればやっぱり今はイスラム宗教改革の時代なのかなぁと少し思います。
いやぁネットは広大すぎてイヤになるよね。