ユーロとギリシャ、どちらにとって小さな一歩で、どちらにとっての大きな一歩?

まだまだ同じユーロで異なる夢を見続ける。



ギリシャとの合意では修復できないユーロの欠陥:JBpress(日本ビジネスプレス)
まぁ個人的にはかなり近いポジションではあるかなぁと。「だめだこいつら、早く何とかしないと」感。

 欧州単一通貨のアイデアが最初に提示された時からずっと、この構想は結局失敗に終わるだろうと筆者は考えていた。この見方は3つのシンプルな命題に基づいている。

 第1に、政治同盟という後ろ盾がなければ通貨同盟はいずれ存続できなくなる。第2に、欧州には政治同盟を下から支える共通の政治的アイデンティティーが存在しないため、政治同盟は実現しない。従ってユーロはいずれ破綻するだろう、というわけだ。

 この数年間、何人もの人々が筆者の考え方を変えようとし、3つの命題はいずれも浅はかで間違っていると説いてきた。しかし筆者は、いろいろな出来事を観察するたびに、通貨ユーロにはその存続に必要な政治的・経済的な土台が欠けているとの見方に舞い戻ってしまうのだ。
 ギリシャ危機はそうした出来事の好例だ。欧州統合に最も熱心な人々は、経済が脆弱なユーロ加盟国の問題を長期的に緩和するには正真正銘の財政移転同盟を立ち上げるしかないと主張している。ドイツのように裕福なところからギリシャのように貧しいところに税収が自動的に流れていく仕組みを作るということだ。

 この主張は確かに正しい。しかし、そんな仕組みは決して作られないだろう。なぜならドイツもギリシャも、本物の政治同盟で運命をともにできるほどには相手を信頼しておらず、好意も持っていないからだ。

ギリシャとの合意では修復できないユーロの欠陥:JBpress(日本ビジネスプレス)

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まぁこの辺は以前も散々書いたお話なのでさて置くとして、今回の危機ではそうした『信頼感』を産むどころかむしろ危機によって亀裂が深まったのが誤算なのかなぁと。
実際、これまでの欧州連合の歴史は経済危機によって「統合バネ」が働いてきたのも事実なんですよね。第二次大戦後の欧州連合の経済統合の歴史、特に80年代後半にあった三度の飛躍――市場統合・通貨統合・東方拡大はそのようにして展開された。その意味で言えば、今回の危機で囁かれる「敢えて危機が起きることを黙認することで統合深化を図る」という危うい手法にはそれなりに説得力はあるのです。
故に今回の危機も、その解決策が切実に求められるからこそ、そこで何らかの光明を見出す可能性はないこともない。
ということで今回時間稼ぎに成功した危機は、これから先何らかの4度目の「飛躍」を果たして実現できるのか、というのが問題の焦点でありこれから(新たな期限となった)夏に向けての最大の山場でもあるのでしょう。


友達の少ないギリシャの孤軍奮闘は基本的には報われることになったわけですけども、皮肉なことに少なくとも彼らがユーロ圏内部においてはひたすら「孤軍」であった故に、やはり妥協がなった面は大きいのかなぁと思います。
つまるところ、そこで妥協されたのは彼らが単体であった故に、ギリシャの(客観的にはともかくとして)傲岸不遜な振る舞いは許された。
しかしこれから先やってくるのはより大きな意味での「妥協」であり、つまるところそれは潜在的な不満を抱える北欧諸国などが推す経済統合政策の多かれ少なかれ変質を意味することになる。結局のところギリシャはそれに国民が耐えられなかったわけですよ。ドラクマのユーロ化という変化に。ならば次はマルク的なユーロが、ドラクマ・リラ・ペセタに近づかなくてはならなくなる。


ドイツ国民をはじめとする欧州北部の国々は、その国家に伝統的にある経済観の変化――結局ギリシャは拒否した――に耐えられるんでしょうかね?
あるいは双方が合意できるだけの妥協ができるのでしょうかね? となるとやっぱりカギを握るのはドイツのリーダーシップしかないよなぁと個人的には思いますけど。


がんばれヨーロッパ。