「少年法ウェーイwwwwww」な悪魔は滅ぼされるべきである

と正義を求める人たちの願いについて。


モトケンさん「犯罪者も人間なのよ。犯罪者に人権はないと言ってる人と全く同じく」 - Togetter
うーん、まぁもちろん弁護士先生による真っ当な正論は正論として理解できる一方で、(もちろん全面的に賛成するわけではありませんが)私刑や少年法適用除外を願う過激な人たちが居ることについてもまた、それなりに解るお話ではあるかなぁと。
まぁこの辺は色々と書けるネタではあってむしろ議論がとっちらかってしまう傾向にあって書くのも辛い所ではありますが以下適当なお話。




一般に国家における『刑罰』の意義と言えば上記リンク先でも指摘されているように、ただ将来への犯罪抑止や行為への応報的懲罰(私刑抑止)というだけでなく、犯罪者への教育や更生という意義もあります。
さて、まさに今回の件が突き付けているように、この三つの内どれを強調するのか? についてはまぁ社会によって色々なんですよね。結局問題は、社会の構成員たる私たち市民がどのような優先順位を望むのか、という話でもあるわけですよ。
某ブレイビクさんへの対応なんかで更に有名になった優しい北欧などに見られるように犯罪者への更生や再教育を特に重視する一方で、アメリカや中国や北朝鮮にあるような犯罪抑止――もっと身も蓋もなく言えば恐怖による社会統制を重視する社会もあったりする。それらは中の人の問題というよりは、その社会の様態の問題なのです。社会においてどれを重視するのか。もし犯罪が基本的に少ない場所であれば、その犯罪者への再教育や更生が重視されるのは当然でしょうし、逆に犯罪率の高い都市であればより厳罰を与えることによって犯罪抑止及び私的制裁=復讐抑止をすることに重点が置かれることになるでしょう。
――重要な大前提は、そもそも国家における司法制度の究極の存在意義というのは、別に被害者を救済する為でも加害者を懲らしめる為でもなくて、目的は社会平和の維持という点であります。犯罪者を罰するだけでなく被害者による復讐をも抑止する、つまり暴力装置を独占することで社会を平和的に安定させる。そしてその為にこそ、刑罰にどのような意味を付与するかがそれぞれの社会でそれぞれの基準で決められている。


(自らが暮らす社会の平和の為に)人びとは何を求めているのか?
私たち日本では一体どのような役割をその『刑罰』に求めるのか、これこそが問題なのです。まぁ例によって例のごとく、あんまりこうしたことは広く議論されたりしませんけど。


もし仮に、例えば少年法なんかが悪用されることによって社会治安が致命的に犯されていると考えれば今後の犯罪抑止の為に少年法をどうにかするべきだという声は更に大きくなるでしょう。
その意味で言えば、こうした正義を求める声が出るのはかなりの部分でマスコミの人々の責任が大きいと言えるのかもしれません。実際しばしば指摘されるように未成年による凶悪犯罪の割合といえば低下か平年並みでの推移を続けているわけですよ。それなのにあたかも「凶悪化し頻発する少年犯罪」などと影響力の大きなメディアでひたすら叫ばれれば当然危機感を抱くはずです。つまり、国家政府による犯罪抑止効果が失敗している、と。
そうなると彼らが望むのは……。
しばしば(多くは政権批判・あるいは社会批判の一環として)「不作為から」日本社会の治安が悪化しているという批判がありますけども、そう批判する人びとは解っているのか解っていないのか、その後にやってくる素朴な市民たちの願いと言えば、犯罪行為への「より厳しい」制裁的懲罰だったりあるいは公的権力への犯罪抑止への積極的行動=権力による個人的自由の制限なんですよね。
偶に「危機に対処しようとすることが国家権限の間接的強化に繋がり、故に(邪悪な)政府はその危機を煽るのだ!」という批判がありますけども、それって実際にそうしているかはともかくとして、論理展開としては概ね正しいわけですよ。
この辺は皮肉なお話で愉快なお話ですが大雑把に言えば、ウソでも何でもいいから「日本の警察機構は上手くやっている」と自賛する人たちが多ければ多いほど犯罪者への教育や更生へ向けられるリソースが大きくなる可能性が高くなる一方で、逆に「日本の警察機構は腐敗し日本社会の治安は悪化している」と考える人が多ければ多いほど新たな(自分や家族がそうならないように)被害者を少しでも減らそうと厳罰に処すことや司法制度が頼りにならない以上「自衛のためにも」私刑や隔離を活用しようと考えるインセンティブは大きくなる。
まぁこんなの考えてみれば当たり前の話ではありますよね。



実際にそうであるかは問題じゃないんですよ。そのような「意識」がどこまで共有されているか、日本における刑罰――犯罪抑止・応報的懲罰・教育更生――はそれぞれどこまで機能していると「考えられて」いるか。
このように考えると、まぁ現代日本社会において「少年法ウェーイwwwww」と考える狡猾で凶悪な若者によって自分や家族の平和的生活が犯されるのではないか、と恐れる人はやっぱり少なくないよなぁとも思うんですよね。もちろん限りなく例外状況であり、ほとんど無視できる可能性であるものの、しかし絶対に0ではない。次は自分の子供が首を斬られるかもしれない。テレビ等で連日センセーショナルに報道されているのを見た上で、(こちらも同様に自らが当事者となる可能性が当然ある)犯罪者の教育更生にリソースを払うのとどちらがマシか問われたら、そこで冷静な結論を出せる人はそう多くはないんじゃないかなぁと。
裁判員裁判:初の死刑破棄確定へ…「市民参加」何のため - 毎日新聞
まさにその正義を求める「市民感情」の実例が、判例を無視してでも厳罰を望む裁判員たちの声でもあるわけで。



みなさんはいかがお考えでしょうか?