「少年犯罪が起きると、視聴率が上がる」

需要と供給、両者の共謀によるすばらしき現象。


「少年事件は楽に数字を取れる」が招いたこと:日経ビジネスオンライン
報道側と視聴者側が手を取り合って「少年犯罪報道を望む」構図について。

池上:今、民放ニュースを見ていると、殺人事件ばかりでしょう? 埋めなければいけないから、東京の局であっても、北海道でも福岡でも殺人事件があれば取り上げて、全国ニュースになってしまう。それを見たら「こんなに治安が悪くなっているのか」と思いますよね。

 少年事件は大人の事件より衝撃的だから、さらに大きな扱いになります。ある場所でAという少年事件が起こると、別のところでBという全く違う少年事件が起こったとき、またAの事件の話が蒸し返される。だから、少年事件が頻繁に起こっているような印象を受ける。それを警察は「体感治安が悪化している」という言い方をしています。

 少年犯罪は厳罰化の方向にあります。「体感治安の悪化」といった実態が伴わない理由で厳罰化に進むのは問題があると私は思っています。

「少年事件は楽に数字を取れる」が招いたこと:日経ビジネスオンライン

川名:少年事件が人の心をとらえて離さないのは、必ずしも定量的な件数や報道が増えたからという理由からではないのだろうとも思います。親にとって自分の最も身近な存在でありながら、子どものことは分からない。それが大きな理由ではないかと思います。

「少年事件は楽に数字を取れる」が招いたこと:日経ビジネスオンライン

まぁ言われてみれば納得するお話ではありますよね。低コストで番組を作れる報道側と、そして自らが「懸念する」ニュースである故にそれに飛びつく視聴者たち。かくして少年犯罪は数字が取れるおいしい番組となる。


この辺はアメリカなんかで戦争報道がウケる理由と同じなのでしょう。しばしば指摘されるように、アメリカでは冷戦以後特に海外ニュースの需要がなくなっていったわけです。まぁそれは元々彼らアメリカ国民にあった孤立主義や内向き志向を反映していただけでなく、同時に報道によって「助長」されるようにもなっていたからなんですよね。
つまり、元々少ない海外ニュースがそれでも報道されるタイミングといえば、インパクトのある衝撃映像=ぶっちゃければ流血事態でもあるわけで。それを見たアメリカ国民は素朴に海外と関わるべきではないと更に考えるようになって、益々その重要性・必要性は薄れていく。しかし彼らにとって海の向こうのロクでもない事態というのは懸念されるべきものでもあるわけで。そうしたテレビによる海外ニュースは「そういう意味で」人気も出てしまう。
故にあちらのテレビニュースに関しても「血が流されると、視聴率が上がる」という身も蓋もない言葉があったりするんですよね。まさに彼らの孤立主義や内向き志向故に、海外の殺戮シーンはテレビ人気があるのです。
こんなクソったれな海の向こうとは無縁でいよう、と改めて確信するために。


――翻って日本では、まさに社会治安を重視する私たちだからこそ、その僅かな悪化の兆しをも見逃したくないと考えては、その兆候が少しでもあればそのニュースに飛びつくことになる。かくして(現実の数字とは裏腹に)体感治安が悪化したとして、少年犯罪厳罰の方向はさらに強まっていく。


確証バイアスというか、人は見たいものを見るというか。そしてマスコミは私たちがそのように懸念しそのように見たいものを――まさに利益が出る故に――提供してくれる。これは日本でもアメリカでも、そしておそらく今のヨーロッパではイスラムなんかの問題でも同じ構図なのでしょうね。


いやぁ人間ってどうしようもないですよね。