早く『喪』があけるといいね

過去のトラウマこそ前進する糧。


【社説】孤立を招く外交戦略、いつまで固執するのか=韓国 | Joongang Ilbo | 中央日報
うーん、まぁ、そうね。

孤立を自ら招きかねない、多分に民族主義に便乗した外交政策は、全面的に見直す必要がある。今はもう鋭い感覚と柔軟性を土台にした現実主義外交が求められる。過去の歴史の定立という名分も生かせず、外交的実利まですべて逃せば、何の意味があるのか。

http://japanese.joins.com/article/850/199850.html?servcode=100§code=110

至極真っ当なお話ではあるかなぁと。ていうか「多分に民族主義に便乗した外交政策」って自覚あったんだ。


別に韓国に限ったお話では絶対になくて、まぁ人間社会一般のめんどくさいお話ではありますが、民族的な集団アイデンティティ形成において重要な役割を果たすのって過去の『栄光』よりも過去の『トラウマ』の方なんですよね。同様に現代日本でも戦前回帰志向な所謂ネトウヨな人たちへのズレた言及としても「強力な国家に憧れているからだ」的なお話があったりしますけども、むしろ話はそう簡単じゃないわけですよ。
この辺はヴァミク・ヴォルカン先生が著書の『誇りと憎悪』の中で、「選び取られた栄光」よりも「選び取られたトラウマ」こそが民族的感情をより煽るのだ、と詳しく指摘しております。ただ栄光を誇るのではなくて、その屈辱を悼み乗り越え新たな誇りとしようとすることこそが、大きなエネルギーを生むことになるから。
しかしこうした民族的手法はまぁ世界中の近現代の歴史を見れば解るように、かなり危うい手法でもあるわけで。だってそのトラウマを利用しようとするということは、怒りや屈辱感や復讐願望をも同時に生んでしまうから。かくしてそのエネルギーはベクトルを誤りかねなくなる。まぁお隣の韓国さんちや中国さんちを見ても、それなりに良くわかるお話ではありますよね。そもそもあったのは、そうしたトラウマを糧にしての前進するエネルギーであったはずが、しかしそこで副産物の魔力にとりつかれるようになってしまう人たち。だからこそ、過去の歴史由来の民族対立を防ぐ為にこそ、そうした負の感情を上手く昇華し非攻撃的なモノに変えることこそが必要で、それが平和的共存関係の基礎となると仰っております。


ちなみに先生はそうした行為を『喪』と定義して、上記著書で次のようにも述べております*1

集団ないしその指導者が他の集団ないしその指導者に許しを請うという考えは、その為の真の基礎が据えられていれば、非常に強力な態度表明となる可能性がある。しかし、許しは被害者の集団が十分な喪を済ませている場合にのみ可能となる。重点は、喪の作業に置かれるべきであって、許しを請うという単純な(一見して魔術的な)行動に置かれるべきではない。根の深い大集団間の争いはインスタントコーヒー式に解決することはできない。

もちろん謝罪が必要ないとは言いませんが、しかし一方で、受け入れる側の準備が必要ないとも絶対に言えないのでしょう。


がんばれ人類。

*1:P297