行く先も解らぬまま走り出す(20)15の夜

盗んだバイクではありませんけど。


知りもしないことを聞かれ、適当に回答する国民と、その結果に右往左往する偉い人たち【コラム】 – ニュースサイトしらべぇ
うーん、まぁ、そうね。

お前ら、分かってねーのかよ!!

途中までふむふむと読み進めていた私は危うく椅子から落っこちそうになりました。知らないのに評価するとか、分からないけど日米安保反対などと、なんとなくな感じの空気で回答しちゃっていいものなんでしょうか。

また、それを大々的に調査して集計し、ああ国民の風向きはこっちなんだなあと判断することにいかに根拠がないのか、非常に良く分かる内容だと思うんですよね。砂の上にタワーマンション建てちゃった系の。

一方で、現代社会というのはこの世で解決しなければいけない問題が多岐に渡り過ぎています。人間一人が問題を認識し把握し理解して、解決に力を注ごうとするのと、誰かが問題だと騒ぎ、報じ、それに対する態度を第三者として決めるのとでは、問題にコミットする度合いも覚悟も知識もまったく違うということです。

大事な問題だけれどもややこしくて分からないということは、決して恥でもないし、それを国民に伝え、知らしめることのできるメディアの機能というのはそこまで実は重要なものなのだということは、改めて理解できると思うんですよね。

その分、プロパガンダやちょっとした事件で世論がだーっと動いていくことについて、私たちはより敏感にならなければならないし、物事について慎重に考えて判断していく癖をつけるべきだと考えるわけです。

知りもしないことを聞かれ、適当に回答する国民と、その結果に右往左往する偉い人たち【コラム】 – ニュースサイトしらべぇ

まぁぶっちゃけ概ね僕もよく解ってない派なのでとてもよく解るお話ではあるかなぁと。散々この日記でも書いてきたお話ではありますが、現代政治問題の多くで最早一般人は専門的すぎてついていけない。「平和安全法制」について。僕も含めて大多数、おそらく過半数は厳密には解っていないんじゃないかと。


ともあれ、しかしそもそも論をすれば悲しいかな人類世界は西暦を始めてから2015年を積み上げてきても尚『平和』に関する統一理論にはまったく至ってもいないわけで。ぶっちゃけ何をしたら平和が守れて、何をしたら平和が危うくなるのか大体の角度は解ってもしかしそれを予測するなんて不可能であるわけですよ。むしろ「えうれーか!」と叫んでは恒久平和に辿り着いたと勘違いしては裏切られてきたのが、国際関係の歴史の繰り返しでもある。人類の歴史から学べるのは、人は歴史から学ばないということでしかなかった。
件の原発再稼働問題でしばしば反対意見として言われる「制御不可能なエネルギー」だというのには一理あると思っていますけども、それを言ったら国家の安全保障問題だってほとんど同様なわけですよね。事実上正解なんてない。この平和安全法制で平和が守れると彼らは言うけれども、本当にそうなのかもしれないし、しかしそうならないかもしれない。
『平和』の実現について。100%正しいというのは誠実ではないし、かといってそれを100%間違っているというのも絶対に誠実ではない。これまで70年平和だったのだからこのままでもいいではないか、というのには確かに――あの『3・11』を経験した私たちにとってすらも――一理ありますよね。


かといって「考えるのをやめる」というのも出来ない結果、現在みたいな風景が出来上がるのでしょうね。
がんばれ人類。