まいそろじーこわい

栄光とトラウマが混然一体すぎる人びと。


韓国の「懸念」 米国務長官が否定 NHKニュース
まぁなんというか、先日書いた早く『喪』があけるといいね - maukitiの日記お話に近い構図ではあるかなぁと。その意味では彼が『神話』と言ったのは色々と示唆深いお話ではないかと。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/05/23/2015052300430.html
まぁでも彼らの歴史認識を考えると『神話』になるのも無理はないかなぁとも思うんですよね。私たち自身も多かれ少なかれ体験があるように『神話』というのはしばしば、合理的分析を超越するものだから。

 あらためて強調するが、韓半島歴史繰り返し説は民族感情をあおり、それに便乗したデマに過ぎない。最も致命的なのは、歴史繰り返し説が韓国人の現実認識や将来予測をゆがめていることだ。その弊害は日本と中国に対する認識に裏返った形で集中して現れている。安倍政権の歴史修正主義は普遍的市民倫理に基づいて批判すべきだが、「現代日本軍国主義国家に走るかもしれない」という懸念は誇張されたものだ。それは、日本が世界帝国・米国に正面から挑まない限り、実現不可能なシナリオだ。

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/05/23/2015052300430.html

なんというか、単純に自己認識というだけでなく、対日の認識としても概ね正しいのが慧眼ではあるかなぁと。日米同盟もつまるところ、ただ装甲というだけでなく日本にとって『拘束具』でもあるわけだし。この事は特に東アジアにおける戦後秩序の大前提だったにもかかわらず、反日の行き過ぎで無視されているのが彼らにとって悲劇なお話だよねぇと。


上記先日の日記でも書いたように、こうした負の記憶に基づく疑念は扱い損ねるとまぁ恐ろしいモノでもあるわけで。何故かってそりゃ記憶や感情を逆転させる為の防衛機構となるから。私たち人類が遺してきた数々の歴史を見ればかなり一目瞭然ではありますよね。
攻撃は最大の防御だと言われるのは伊達ではない。
そしてだからこそ、選択された心的外傷を神話とする人びとはおそろしい。
その意味で言えば、例えば現代中国が見せるような「日本なぞ敵ではない」的な空気を持っている方がまだマシではあるんですよ。多くの場合では、その(多くが恣意的な)選ばれた栄光というのは、ただ強められたリビドー的愛着にしかならないから。
この辺が、同じ反日神話を持つ中国と韓国の差でもあるのかなぁと少し思います。


民族的な神話がもたらす悲劇。
みなさんはいかがお考えでしょうか?