超資本主義の申し子たち

あるいは犠牲者。


ブラッターが辞任したので、スポーツとお金について書いておく - pal-9999のサッカーレポート
とても勉強になるお話。

1970〜1990 スポーツマーケティングの開始。五輪とW杯の収入が、チケット収入メインから、広告収入メインに切り替わる。IOCFIFAの収入は以後、激増する。それと同時に内部の腐敗が進行する。また開催地の負担が減ったことで、招致運動が活発化。それに伴って、招致活動の不正が深刻化する。

ブラッターが辞任したので、スポーツとお金について書いておく - pal-9999のサッカーレポート

まぁこの辺の時代のタイミングを見ると、やっぱり単純に政治闘争というだけでなくグローバルな資本主義競争の激化による「余波」の必然でもあるのだろうなぁと。元々組織にあった政治対立は、1970年代以降一気に進んだグローバル化=自由競争の波に晒された企業たちの手によってスポーツマーケティングが生まれ、多額の金銭が飛び交う一大商業イベントへと発展した。
市場原理の結果としての『賃金格差』 - maukitiの日記
これまでも何度か書いてきた、(運輸や情報などの)技術革命によって世界各国にあった壁は取り除かれ、企業たちは世界規模での熾烈競争を余儀なくされるようになったわけですよ。安定的(国内)寡占市場への、参入障壁の低下。その結果起きたのは血を血で洗う、カネをカネで洗うグローバルな弱肉強食競争である。そしてその時代の到来が意味するのは、ただ利益を求めてというよりも、むしろ生存競争の為に「より」手段を選ばず「より」政治へと足を踏み入れる企業たちの時代でもある。
しばしば、政治団体などと企業の癒着といった腐敗や汚職がニュースになりますけども、そこにあるのは単純にモラルだけの問題というよりは、それだけ現代企業たちがあまりに厳しい競争に晒されていることの帰結でもあるわけで。上記引用先でも言われているプーマとアディダスのように、ライバル企業に「勝つ」ためにはそうする以外にない。そうしなければ自分が死ぬ。生き残れない。
――裏金賄賂キックバック等々限りなくグレーゾーンであっても、それをやるしかないのです。だってそれが多くの私たちが望んだ自由競争でしょう?


FIFAだって例外ではなかった、ということなのでしょうね。
こうした市場原理な時代背景があればこそ、更にはサッカーの惑星と称される私たちであればこそ、FIFAもその流れから例外でいられるはずがなかった。競争の激化による、大会規模の拡大と、その隙間に必然的に生まれる裏金たち。


ロバート・B・ライシュ先生の言う所の『超資本主義』について。
最早関連企業たちにとって、FIFAIOCなどによる一大ビッグイベントを無視するなんてことできるはずがない。しかしそのくせ(皮肉にもある程度まで平等な)全世界規模の組織である故に、本来最低限のラインとなるはずの政治倫理なんてものは、最小公約数ほど――つまり事実上ゼロに等しい――しかない。
FIFAの汚職が発覚、じゃあF1はどうなってるの? -バーニー・エクレストンとコンコルド協定の話 | @raf00
確かにこれならF1の方がまだマシですね。


組織内部の政治対立と関連企業の競争激化が悪魔合体して生まれたFIFAの現状。何も手段を講じなければ行く所まで行く以外に未来などなかった。
まぁそうして現在、まさに「行く所まで」行ってしまったわけですけど。


みなさんはいかがお考えでしょうか?