今更「パルミラ遺跡の保護を!」なんてとても言えない

善意ある人であればあるほど、それを叫ぶのに躊躇する。



遅きに失した遺跡保護の叫び | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
ということでヤバいヤバいと言われているパルミラ遺跡のお話であります。

ISISは2月に、モスル博物館で大型ハンマーや電動ドリルを使って収蔵品を粉々にする映像を公開した。今回も似たようなプロパガンダ映像が流されれば、世界中のメディアがパルミラ制圧のニュース以上に注目するだろう。そして、ISISの行為が世界の怒りを駆り立てるほど、彼らは同じことを繰り返す。

 ただし、パルミラについて、多くの報道が言及していない事実がある。この地にISISが侵攻する前から、遺跡はシリアの内戦によって破壊されていたのだ。

 ISISがブルドーザーでパルミラの神殿をなぎ倒したとしても、その壁や柱は既に深刻な損傷を受けている。4年に及ぶ激しい内戦は、ISISが関与するまで、国際社会からあまり注目されていなかった。私たちはもっと早く、パルミラの古代遺跡の危機を直視するべきだった。

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遅きに失した、ですって。
ただまぁ、解っていても最早大きな声を上げられない、という構図は解らなくはないんですよね。だってこれまで私たちはほぼ完璧にシリアでの「人の命」を見捨ててきたじゃないですか。
時事ドットコム:死者23万人に=シリア内戦
既にシリア内戦での死者は23万人を超え、難民は300万人を数える。今回のパルミラ遺跡の危機だってそうした延長線上にあるわけで。しかしそれなのに、私たちはシリアでの犠牲者にそこまでの現実的対応も、そして何か真に迫った強い悲しみを表明しない。
もしここでそんな失われた膨大な人命という大前提を無視して大騒ぎしてしまったら、まさにあのバーミヤン大仏での構図*1そのままになってしまうから。

「現代の世界では人間よりも、遺跡の方が大事にされるというのか?」

善意ある私たちはもちろん遺跡に危機が迫っていることを知っているけれども、しかし、私たちに思慮があり善意ある故に、それ以上に強い声でその遺跡の破壊だけを今更非難することができない。もしそれを言うのであれば、少なくともシリアで虐げられる人びとと同じ程度にしなければそもそも自身の正当性を担保することができず、そしてその声と言えば、ここ数年はもうお察しでしかない。
私たち日本でもそれは同じですよね。
こうしてシリアの地獄を看過しておきながら、今更「パルミラの遺跡が危ない!」なんてとても言えない。それをすればまず間違いなくアフガニスタンで100万人以上が戦争と餓死で死に瀕していたことを無視しながら、バーミヤン大仏破壊で大騒ぎした無神経な傲岸さを再び繰り返してしまうことになるから。

「ついに私は、仏像は、誰が破壊したのでもないという結論に達した。仏像は、恥辱の為に崩れ落ちたのだ。アフガニスタンの虐げられた人々に対し世界がここまで無関心であることを恥じ、自らの偉大さなど何の足しにもならないと知って砕けたのだ」

大仏を遺跡に、アフガニスタンをシリアに置き換えればほとんどそのまま通用するでしょう。


いやぁホント「恥辱の為に崩れ落ちた」というこの非難は、鋭利すぎるほどど正論で、今も尚私たちの行動を心理的に束縛し続けているよなぁとしみじみ思います。誰もが見たい『悲劇』を恣意的に選択し、故に数多の見過ごされる現在進行形の『悲劇』が世界中に溢れる現代国際社会において、この言葉は無敵過ぎます。
21世紀という時代をこれ以上なく端的に表している、モフセン・マフマルバフさんの重すぎる言葉。
その言葉を尚も忘れてはいないからこそ、私たちはパルミラ遺跡の悲劇に大きな声をあげられない。もちろん遺跡の希少性は解っているけれども、しかしそれを必要以上に強く悲劇だと認定することは、自身のシリアでの今ある不作為を認めてしまうことになるから。
かくしてパルミラ遺跡への保護は、必然の結果として、遅きに失することになる。


あのアフガニスタンからまるで成長していない私たち。いや、(本音を隠しているだけなのか)本気で遺跡を守れと騒いでないだけ思慮を持ったとも言えるのかもしれない。それは進歩なのか退化なのかはわかりませんけど。
みなさんはいかがお考えでしょうか?