なぜ彼らは炎上(爆破)芸に走るの?

A、そりゃ手っ取り早く目立てるからですよね。



「イスラム国」、シリアの世界遺産に地雷=監視団体| Reuters
IS シリアの世界遺産に爆弾仕掛ける NHKニュース
ということでパルミラ遺跡のカウントダウンが始まりそうらしいですよ。
今更「パルミラ遺跡の保護を!」なんてとても言えない - maukitiの日記
ただまぁやっぱりこのお話に言及しようとすると、シリア問題を看過した末の「遺跡は爆破されたのではなく、恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」的無敵理論がブーメランとして自分に突き刺さってしまうのであんまり遺跡爆破問題だけを殊更に騒ぐのって個人的にはやっぱりどうかと思うんですが、折角のタイミングなので。


以下、なぜ彼らは遺跡や大仏を爆破したり虐殺や奴隷化など敢えてひどいことをするの?
――についての適当なお話。


「犬が人を噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛めばニュースになる」昔から言われている格言ではありますが、この構図はほとんどそのまま彼ら武装勢力の行動にも概ね当てはまるお話なんですよね。
つまり、彼らはより多くの注目を集めようと合理的に活動した結果が、ご覧の有様である。
冷戦以後特に顕著になった乱立する武装勢力たちが自身の存在意義を証明する為にこうした行動により走るようになったのは、皮肉なお話だよなぁとしみじみ思います。そもそも彼らはそれぞれにバラバラで好き勝手にやる故に――かつてあったバックに大国支援を持つのと違って――より積極的に他集団とは違うと自身の存在意義を証明し続けなければならない。かくして特に(池内先生が仰るようなグローバル・ジハードなどを典型に)反米反欧米を訴える人たちにとって、国際社会=欧米諸国が決めたルールを敢えて破ることにインセンティブを持ってしまうわけで。まさに欧米産良識として一定以上普及してしまったからこそ、彼らは叛逆の物語としてそれを踏みにじる。ルールを破るオレタチは他の有象無象とは一味違うぜ。
その意味では、私たちがインターネットなんかで日常に目にするような炎上芸とほとんど変わらないんですよね。炎上芸をする彼らは無数に存在する中に埋没しない為にこそ、「敢えて」常識としてある原則やルールを無視することによって存在証明を行い、その自己承認欲求を満足させる。
アイスケースに入ったり万引き動画を公開するのと、意図的に人権や人道主義を無視することは、基本的には同じ所にあるわけですよ。
承認欲求を満足させる普遍的回答として。

「人と同じことをやっても目立たないが、人と違う事をやればアクセスを一杯稼げる」

「人を殺してもニュースにはならないが、遺跡を壊せばニュースになる」

前者のTwitterなんかで見られる炎上芸についてはただバカだと笑っていられるお話ではありますが、後者ではまさにこの構図自体が、21世紀という時代に生きる私たちの善意の限界、あるいは欺瞞そのものとなってしまうお話だよなぁと。
彼らの残虐が証明するのは、(欧米や自国民でない限り)多少人が殺されても最早ニュースとして「扱わない」私たち、の逆証明でもある。だからこそ、彼らはそのように無視する私たちに自らの存在を証明しようと更なる殺人やあるいは遺跡の爆破に走ることになる。


もし本当に人の命が重いのであれば、一人の命だけでも大騒ぎしていいはずなのにね。しかし一人では足らず、数十人でも足らず、数百人でどうにか、数千人ならかなり、というレベルでしか関心をもたない私たち。そりゃ彼らも「より」大きな行為でしか私たちの注目を引けやしませんよね。
がんばれ人類。