FT買収騒動が再証明する現代ジャーナリズムの悲劇性

良きジャーナリズムってだけじゃ食っていけない悲しい事例がまたひとつ。



オリンパス元社長、FT買収に懸念「日経は企業と親密」:朝日新聞デジタル
日経FT買収:「日本の新聞社」に驚きの声 - 毎日新聞
うーん、まぁ、そうね。やっぱ第一印象としては「とばし」じゃないんだ感。さすがに自分のこととなると適当なことは書かないんだなぁと逆の意味で感心しました。
しかし問題の本質としては、日経が買ったことよりも、そもそも売られたことのほうがずっとジャーナリズム的にはアレだよね、という適当なお話。

 買収について企業経営者としてどう見るかと問われると、ウッドフォード氏は「経常利益2400万ポンドのFTに日経は8億4400万ポンドを払う。円が安いときに払い過ぎだと思う。理屈が通らない。また、日本人は、FTのような自由な気風の下で働く西欧人を管理するのが不得意で、それも日経にとっては問題だ」と批評した。

オリンパス元社長、FT買収に懸念「日経は企業と親密」:朝日新聞デジタル

基本的には同意するんですが、メディア企業の買収なんてどこもそうですよね。単純に利益云々で買うことよりも、知名度や影響力など別の何かを求めて買収する事例は結構あったりする。その極北が50億ドルでウォール・ストリート・ジャーナルを買収したルパート・マードックさんでしょう。それに比べたら英国版WSJとも評されるFTを8億ポンドなんて安いんじゃないかな。てか英国メディア支配を目論んでいたマードックさんってもちろんFTも買収しようとしてるんですよね。失敗したんですけど。

 米経済紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ、電子版)は「日本のメディア文化は多くの面で、西側諸国とは違う。企業や政府といった取材対象に敬意を払う傾向がある」として、辛辣(しんらつ)な論評で知られるFT買収が「日経にとって試練になる可能性がある」との見方を示した。

日経FT買収:「日本の新聞社」に驚きの声 - 毎日新聞

まさにそんなマードックさんに買収成功されて、事前に約束されていたはずの「編集権の独立」を見事に反故にされたWSJがそれを言うのはぶっちゃけ愉快すぎますよね。お前がそれを言うのか感。高度の皮肉か、それとも体験談かな?
結局のところ、WSJの事例が証明するように幾ら「不干渉」を約束した所でそれを破ろうと思えば破れるんですよ。なぜなら買収されたのだから。


ただまぁ上記マードックさんの見果てぬメディア大帝国な野望と違って、今回の件で皮肉な構図なのは――だからこそ面白いとも思うんですが――FTに対する「編集権の独立」がそのまま日経自身の「編集権の独立」の有無という構造的問題と直結している点ですよね。まさに日経自身にそれがあれば、あるいはコンフリクトしない報道対象であれば、おそらくFTに対しても独立は守られる可能性が高い。


――では、日経自身にすら「編集権の独立」がない問題に対しては?
正直エスタブリッシュメントな匂いもしますけど、この日本社会と直結した懸念はまぁそれなりに説得力のあるお話だと思います。


その意味で、今回FTが日経「なんかに」買われたのはジャーナリズムにとって悲劇的だ、と言うのはそれなりに的を射た発言だと同意するところではあるんですよ。最悪の選択肢ではないにしても、記憶も新しいオリンパスのように日経というか日本の新聞社にはそれだけの前科がある。しかしそれでも「半官」な日本よりも、政府から直接に『指導』されるほぼ「全官」な中国よりはずっとマシでしょう。
――だから今回の件をもし悲劇と呼ぶならば、そもそもあのFTが売りに出されたということ自体がずっと悲劇的だよね。だってあれだけ実績のあるFTですら、結局は持ち主から切り捨てられる対象であることを証明しているのだから。
でもまぁそれも仕方ないお話ではあります。ただでさえ苦境にある業界で「良きジャーナリズム」だけじゃ利益出せないもの。結局ピアソンが手放した理由だってそうした低成長分野切り離しという身も蓋もない事実に行き着くわけで。
つまり、FTほどの世界的にポジティブな高評価を受ける新聞ですら、こうして切り捨てられるというすばらしき世界に私たちは生きている。公共サービスという性格を持ちながら、しかし利益を出さねば生きていけない新聞社たち。ところが彼らは真面目に誠実にやればやるほど儲からないというほぼ覆しようのない摂理を抱えてもいる。


もちろん将来日経が「適切に」FTと上手くやっていく可能性もあるでしょう。しかしそれでも、WSJ然りFT然り、いざという時にそうした良質なジャーナリズムの代表格である新聞社すら簡単に売り払われるという事実を今回も再び証明してしまった。
報道の自由』をきちんと守ってくれる所に買収されるかもしれないし、そうではない所に買われるかもしれない。その繰り返しで、毎回必ず良い所が買ってくれるなんてありえない楽観論を信じるしかない。でもそんなの幻想でしょう。今回はあまり評判の良くない日本だった。次は中国かもしれないね。



「社会の木鐸」であるべきジャーナリズムがこうして売買されることの未来について。どこが買って云々よりは、そもそも売られる時点でもうアレじゃないのかと。
みなさんはいかがお考えでしょうか?