『動物愛護』か『種の保全』か

「より長期継続的にお金を出せる方が勝つわ」
「フフフ、ララァはかしこいな」



ジンバブエの人気ライオン射殺に非難轟々 猛獣狩りの是非にスポットライト | JBpress(日本ビジネスプレス)
ということでホントマジなんでここまで盛り上がってるのかよく解らないほどにあちらでは大盛り上がりなセシルさん騒動であります。
だれもがライオンを愛してる。 - maukitiの日記
まぁ折角だし、先日の日記ではそのかわいそうなライオンという『悲劇』としてのニュース価値という適当なお話を書いたので、今回はまた別の適当なお話。




今回も多くの人がセシルという一個体に対して燃え上がる動物愛護という「正義」と、しかし現地におけるライオン全体の「種の保全」って実は完全ではないにしろ結構背反するお話なんです。もちろんどちらも実現できれば何も問題はない。でも、もし仮に前者に多少目を瞑ることで後者が推進されるのなら……?

 ポットヒテル氏などのキャンド・ハンティング支持者は、こうした狩りは種を保全するために欠かせないと言う。「捕獲状態で飼育されたライオンを狩ることで、野生のライオンに対する狩猟圧が取り除かれる」と同氏。「野生ライオンの狩猟の減少と飼育ライオンの狩猟の増加の間には直接的なつながりがある」

 実際、野生動物保護団体は、南アフリカでは、野生ライオンの生息数が安定したように見えると認める。

 また、ライオンは危険にさらされていると見られているものの、サイなどの他の種ほどは絶滅の危機に瀕していない。

ジンバブエの人気ライオン射殺に非難轟々 猛獣狩りの是非にスポットライト | JBpress(日本ビジネスプレス)

こうした構図は『動物愛護』というよりは、『種の保全』という観点では概ねポジティブだと言われているんですよね。それこそジンバブエはそのモデルの成功例の一つとさえ言われているわけで。ハンターたちを「合法的に」迎えることで公認料を取ることで、(もちろんそこで殺されるのは今回のセシルのように不運なライオンでもある)ライオン全体としての数を保全することができる。
――ここで重要なのは現地の人たち自身にライオンを守らせるというインセンティブを持たせることにあるわけですよ。
もちろん私たちは遠い海の向こうで殺されるライオンに心を痛めることはできるでしょう。そして何かをするべきだと正義心を燃え上がらせることも。でも、だからといって、実際に何か行動ができるわけでは絶対にない。あるいは多少の金額を寄付することもできるでしょう。でも、悲しいことに、それだけじゃカネは足りないんですよ。
重要なのはそこで継続的に「金を生み続ける」という点にあるわけで。ただ一過性の寄付だけじゃそれを生むのは絶対に不可能だとは言いませんけど、まぁ無理といっていい。その意味で言えば、ただ一時の善意よりも、公認ハンターたちのちょっとアレな情熱の方が、ずっと金を生む。そして金を生み続けるからこそ、ライオンたちを恒常的に密猟から守る事ができる。
この辺は日本の私たちにも身近な所で言えば「入漁料」なんかと同じ効果を持つもの。そこに金銭的インセンティブが生まれるからこそ、彼らは釣り人たちに多少の魚を提供することと引き換えにその河川全体の環境を保護しようとするインセンティブが生まれる。
ぶっちゃけ利権っていうんですけど。



つまるところ、今回のようにスポーツハンティングと動物愛護との対立する問題が面白い構図となるのは、『種の保全』という視点で考えれば公的にスポーツハンティングを認めることは利に――少なくとも経済学的に言えば――適っているという点にあるわけですよ。
共有地の悲劇』を回避するための、たった一つのさえたやり方。
もちろん動物愛護も種の保全もどちらも出来れば素晴らしい。今回の件はやり過ぎにしても、ただ楽しみの為に野生動物を狩るなんて、まったく愛護とはかけ離れている。しかしそれでも、何もしないまま(密猟から守るだけのリソースを用意できないまま)ライオンを絶滅させるよりずっとマシではある。


もし動物愛護の為に、お金の寄付を「長期的に続けて」くれる人が居ればよかったのにね。しかし、今回のセシルの件でも今は怒っていても、一年後まで怒りを継続し支援を続けようと考えている人は(まったく居ないとは言いませんが)おそらくごくごく少数でしかないでしょう。
かくして、ならばハンターたちを公認し現地でお金を使わせライオンを商品として『管理』した方がまだ『種の保全』には役に立つという構図が生まれる。まぁそれを動物愛護とかけ離れていると批判することはできますし、概ねその通りなんですが、でもそれを止めたところで現地のライオンを守るためには何の問題解決にもなっていないんですよね。
何もかも金がないのが悪いんや。


みなさんはいかがお考えでしょうか?