警官が消え、国際社会が消え、最後に「平凡な」ニュースが消えたシリア

「ただの悲劇なニュースには興味ありません。シリアの中で、数千人単位、遺跡、著名人、が破壊されたり殺されたりしたら国際報道にきなさい。以上」


IS、82歳のパルミラ遺跡管理元責任者を斬首  写真3枚 国際ニュース:AFPBB News
過激派組織IS 世界的な考古学者殺害 NHKニュース
まぁなんというか、この『イスラム国』の蛮行というだけでなく私たち国際社会の「無関心」という意味で、ニーメラーさんの詩を思い出してしまう風景だなぁと。もちろんこの処刑は議論の余地なく強く非難すべき問題ではあるものの、しかし逆説的に今回のニュースがそれなりに大きく報道されていることが証明するのは、空爆で殺されるのが日常にあるシリア人たちでは私たちの目にはほとんどとまらない程度にしか報道されない現状でもある。
なぜ彼らは炎上(爆破)芸に走るの? - maukitiの日記
先日の日記でも書いたお話。犬が人を噛んでもニュースにはならないから仕方ないよね。もうアサドやイスラム国が人をただ殺してもニュースにはならないすばらしき現代世界。まさにシリアで民間人が毎日何百人、合計では23万人近く殺され尚も増え続けているにもかかわらず最早見慣れた悲劇となってしまってニュースにはならない。しかしこうして著名なシリア考古学者が処刑されることはニュースになる。
ただの人がシリアで幾ら死んでもニュースにはならないが、有名人は別である。
きっとナチスが暴れ始めたころの欧州世界でもこんな風に他人事として――まさに今の私たち日本人もそうであるように――こうした惨劇をほとんど悪意もなく、僅かばかりの関心を持ちながらも他人事だと見て見ぬフリをしていたのだろうなぁと。なぜ無関係な私たちが関わらなければならないのだ? 寝た子を起こしたらどうするつもりだ? なんて。
(特に自分の)平和と現状維持を愛する私たちの善意ってすばらしいよね。


イラクで失態を犯した横暴な警官を追い出すことでやってくるはずだった、新しき中東世界。それは多くの人たちが望んだ世界でもあったはずです。
『国際社会』という概念が存在しない野放図な世界 - maukitiの日記
ところが生まれたのは、警官がおらず、つまり国際社会の存在感がほとんどなく、そして悲劇が日常となった故にニュースにすらならなくなったシリアというオチ。シリア政府軍による空爆による死者や『イスラム国』の蛮行は、最早日常となった故に、シリアではただ「人が死んだ」だけではニュースにすらならない。


かくして、偶に思い出して自らの善意の存在を確認するかのように、今回の著名考古学者処刑のように「突出した」事例だけがこうして私たちにニュースとして届けられ、そんな突出した事例に対し摩耗した私たちはそれだけの悲劇ならばと感情を動かす。
いやぁ笑えばいいのか悲しめばいいのかよく解らない現実であります。


みなさんはいかがお考えでしょうか?