慢心というより環境の違い

金持ち父さんの子供たち。


アメリカの富裕層、2代目で70%、3代目で90%の財産を失っていることが判明:らばQ
格差拡大社会が言われますけども、逆説的にそうした社会が証明しているのって単純に底辺が下がり続ける一方で、「金持ちであることのハードル」も上がり続けているって意味でもあります。かつてだったら十分に金持ち扱いされていた生活も、現代ではまったくそのレベルに到達できない。かくして彼らは金持ちであり続けられると錯覚し、その上がり続けるハードルについていこうとしては茹でられた蛙のように資産を食いつぶしていく。
ぶっちゃければ人はなかなか生活レベルを下げられないという普遍的なお話ではありますよね。




ともあれ、日記の本題はそちらではなくてほとんど世界何処でも共通するとされる「無能な」後継者たちの悲哀、なお話。

●ブラジルにも、ことわざがあるよ。「金持ちの父、高潔な息子、貧乏な孫」。

↑フランスでは「1代目が建て、2代目が強くし、3代目が使い果たす」と言うね。

アメリカでは「ホットドッグにチリとチーズ」って言うね。

アイルランドでは「1代目は貧乏、2代目はさらに貧乏、3代目はイギリス人に強奪される」と言う。

ポーランドではそう言ったことわざはない。全員が貧乏だから。

↑ドイツでは「父が創り、息子がそれを受け、孫がつぶす」

↑中国では「資産は三代続かない」

アメリカの富裕層、2代目で70%、3代目で90%の財産を失っていることが判明:らばQ

こうした教訓も、昔よりも現代では「更に」そうなっている、という点では今の後継者たちも辛いよねぇと。でもそれって単純に無能云々で終わるお話でもないと思うんですよね。


しばしばグローバル化による労働者の競争や、あるいは現代企業の『寿命』なんかお話でも言われますけど、このグローバルな21世紀の現在に彼らって熾烈な環境に生きているわけですよね。
でもそれも当然のお話ではあります。昔と違い寡占市場はなくなり参入障壁はほとんどなんでも低下した。そして移動通信流通の進歩は競争相手を全世界から台頭させる。10年前には業界の先頭を走っていたはずの企業が、今では見る影もないなんて事例は、家電から携帯やらパソコン等々私たちも幾つも思い浮かぶほどでしょう。
――むしろそうでない企業こそ、世界に名の知られるレベルの超大企業となる。そしてそうでない企業たちは例外なく凋落していく。
もちろん先代経営者が有能で、後継者が無能であるという個人的資質の問題もあるでしょう。しかしそれと同じくらい重要なのが、そもそも環境の違いでもあるわけですよ。運よく競争相手が少ないままフロントライナーで走り実績を残した人(生存バイアスとして当然勝者である人たちはそうした環境を運良く備えていた可能性が高い)と、皮肉にもその成功によってその後ライバルたちを誘引した環境で戦うようになった環境では、勝率が違うのは明らかでしょう。
ゲイツジョブズ――日本で言えば孫さんなんかもある種の傑物だとは思いますけども、しかし彼らの後継者となった人たちがそんな成功者と同じレベルで成功できる可能性は、まぁ正直言ってかなり低いでしょう。それは能力云々というよりは、根本的に今となってはライバルが多すぎるから。
まさに創始者である彼らの圧倒的な成功が市場に知らしめられることで、その後に強力なライバルたちを招き、結果として後継者たちは先代以上に厳しい環境で戦わなくてはいけなくなる。皮肉なお話ですよね。


グローバルと規制緩和が進む現代世界において、世代を超えて企業たちが勝ち続けるのはずっと難しい。能力優先で有能な経営者を選んでもそうなのだか、いわんや同族経営をや。かつてのようにより狭い世界で生きていた先代よりも、今のようにグローバルな競争に晒される現代人たちの方がずっと負ける確率は高いのはほとんど自明の結論でもある。
その意味ではピケティ先生の結論なんかとはちょっと異なりますけども、少なくとも家業・企業の世代を超えた存続という意味では、現代世界はではそうしたアドバンテージは薄く世代交代するとまぁあっさり死んでしまうほどには平等にはできているんじゃないかと。
私たちが多かれ少なかれ望んだ弱肉強食な自由競争の世界。いやぁツライですよね。


話はズレますけども、だから最近話題の某デザイン業の人なんかのように狭い世界で生きられる人は幸せである。あの人への反発って、そんな「嫉妬」要因が大きいんじゃないかと個人的には思うんですよね。少なくとも僕は羨ましいです。身内で仕事を回し、そんな身内の仕事だけでやっていけるなんて最高じゃないですか。
この自由競争でグローバルな現代世界でそんなヌルいことやってられる。なんてうらやましい話。そりゃ炎上しちゃいますわ。