なぜ「殺すくらいなら殺された方がいい」のような理想主義的平和論はあんなに良いことを言っているのに蛇蝎の如く嫌われるの?

他人の生命財産でギャンブルをしようとしている、ように見えるからです。



「敵国が攻めてくるというのならとことん話して酒飲んで遊んで食い止めます」発言を受けての反応と玉井氏を中心としたやり取り - Togetter
お、おう……あれだ、漫画の読み過ぎじゃないかな(意図せぬダブルミーニング)。


でもまぁ昔からある非武装論と言っていることはさほど変わりはないかなぁと。そして嫌われる理由も。つまり、多くの人は彼のような素晴らしき対話路線を掲げて「彼だけが」失敗するなら別にまったくどうでもいいと思っているんですよ。むしろそれで成功したら最小限のコストで最大限の棚ボタ的利益を得られるので、諸手を挙げて歓迎さえするでしょう。
――でも、もし、失敗したらどうするの?
文字通り失敗したら彼だけでなく「私たちの」生命財産が失われる可能性がある。一人で挑戦して失敗して死ぬなら自己満足として勝手にすればいい。でも絶対にそうじゃないですよね。文字通り戦争前夜な極限状況の交渉で失敗したら、被害を受け巻き込まれるのは彼だけじゃなく他の大多数の私たち国民たち全体でもあるのに。

「殺すくらいなら殺された方がいい」

「日本はそうやって滅びるなら仕方ない」

こう仰る人たちは若者に限らず日本社会には結構存在しますけども、彼らが死ぬほど傲慢なのは、自身の政治哲学に基づくギャンブルのような掛けに他の人たちの生命財産まで巻き込もうとしている点にあるわけですよ。国家安全保障という国民の生命財産を巻き込みながら、成功すればリターンは大きいものの失敗したら壊滅的被害一直線なギャンブルのような理想論。そのように考えていない人たちだって決して少なくないはずなのに、まるでそうした反対者を巻き込む権利が自分にあるとばかりにそれを主張する。そりゃ反発されないわけありませんよね。
良いか悪いか、現実的であるかそうではなくて、自分のみならず他人の生命財産を巻き込む可能性があるにもかかわらずそんなことを平気で言うから怒られる。少なくとも本気でそれをやっている人たちは、真摯にその責任と向き合っているはずで、故にそうした人たちであればあるほどそう口に出せるものではない。


その意味で、実は「酒を酌み交わし話し合って解決!」な希望溢れる理想主義的平和論者って、「希望は戦争」というユメもキボーもなく革命的擾乱状況を望む絶望する若者たちと同じ地平にあるんですよね。希望と絶望ってどちらも行き過ぎると同じ所に着地する。
彼らの主張はどちらも自分だけでなく他人の運命をも巻き込もうとしているのにまったく気にかけていない。露悪的だと自覚している分まだ後者の方がマシですらあります。自分一人で一発逆転のギャンブルに出て、それで当事者だけが破滅するなら勝手に死ねばいい。しかし絶対にそうじゃないでしょう。




もちろんこれはまったく逆に――例えばこれまでの日本の歴代政権が目指しているような――リアリスト的な軍事的均衡な手法でも同じであります。確かにそれが戦争につながる可能性は存在し、上記非武装論な人たちをはじめとして少なくない少数意見を無視している。
まさに反対している人たちはそのように考えているからこそ、ああして反対のデモまでしているはずなのにね。それなのに、まったく同じ理屈で、他人の意見を(自分の意見こそが平和的で正しいからと確信して)軽んじているのは、まぁ愉快な光景ではあります。


ともあれ、となると最も反対意見の少なく、そして失敗しても最も被害の小さく出来る(可能性のある)無難な手法を採るしかない。それも仕方ないお話ではあります。誰だって生命や財産は大事なのだから。
尚も一億を超える日本国民の総意を採るなんてこと事実上不可能であり、だからこそ日本だけでなく多くの国の安全保障議論では夢みたいな理想論ではなく、最も堅実(歴史的に採用されてきた)で最も平均的(他国で最も採用されている)な、つまらなく平凡でクソみたいに失敗の多い手法を採るしかないのです。
だって、そうでなければ同じく被害を受ける一蓮托生な国民たちを説得できないから。
私たちの生命財産は重すぎるから、最も堅実であり最も前例があり最もいざという時に最低限リスクヘッジできる手法に頼る以外にまともな合意はできない。現代世界では、生命財産を重視するという覆しようのない民主的総意があるからこそ『枯れた思想』である古典的な軍事抑止力に頼ることになっている面がある、という現実は子供ならばともかく大人ならきちんと覚えておくべきだよなぁと。
逆に重視していなかったら軍事的冒険だろうがイチかバチかの無防備マンだろうがやればいいんですよ。



他人のカネでギャンブルをしようとする人たち。
それは現代世界に生きる人びとに最も嫌われる行為の一つであります。政治家の税金に絡む疑獄や、リーマンショックで明らかにされた投資銀行家たちのギャンブル的投機の結果としての公的資金注入の救済なんかに対する怒りの反応を見ればよく解りますよね。
だからこそ、そんな彼らの無邪気な傲慢さはこうして批判されるのです。まぁ自分だけは死なないと万能感溢れがちな子供ならそれでも許されますけどね。いい大人が言うのはちょっとなぁ。大学生は……ギリギリアウ、いやセーフ?


みなさんはいかがお考えでしょうか?