難民対応で「現代民主主義政治の課題」が浮上するヨーロッパ

多数派の為ではなく「少数派救済の為に多数派が合意する」は実現できるのか?


ドイツ、移民流入による今年の経済負担予測1兆3200億円 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
ドイツ 難民受け入れを南部の州政府が批判 NHKニュース
ということで先日の男児溺死体という報道写真としてはあまりにもよく――親たちの心を強く打つという意味で――出来ていたニュースのおかげか、更にあちらでの喧々諤々な議論というか百家争鳴というか右往左往が益々顕著になっているヨーロッパであります。

一方、ミュンヘンがある南部バイエルン州のゼーホーファー首相は、「世界中からヨーロッパに集まる難民のほぼすべてを、ドイツだけで受け入れるのは不可能だ」と述べ、難民らの受け入れを決めたメルケル首相の対応を批判しました。
ドイツにはことし1年間でおよそ80万人の難民が流入するとみられ、その対応でかかる費用は年間100億ユーロ(日本円で1兆3000億円余り)に上るとも報じられていて、難民の流入に歯止めをかけるよう求める声は、今後、さらに強まりそうです。

ドイツ 難民受け入れを南部の州政府が批判 NHKニュース

こうした反発はドイツに限らず、更に欧州懐疑派な勢力に文字通り「油を注ぐ」ことにはなってしまいそうだよなぁと。難民受け入れ割り当てやシェンゲン協定を筆頭に欧州統合問題そのものに多くの影響を与えるのはたぶん間違いない。


ともあれ個人的にもこの問題がすごく興味深く面白いのは、現代民主主義政治における最大のテーマの一つ、がこの難民対策問題に含有されているからなんですよね。この辺は所謂不平等問題とも関連するお話でもあります。
――つまり、受け入れ反対派な人たちが正しく指摘しているように彼らを受け入れそして当面の面倒を見るには『公的資金』が絶対に必要なわけで。そしてその公的資金と言えば税金であり、その税金を払うのは当然大多数の選挙民たちである。
例えばこれまでの歴史にあったような「多数派が多数派を救うため」ならば話は簡単なんですよ。少なくとも真っ当に選挙をやればそうした結果が多かれ少なかれ出るのは間違いない。もちろんそうでないことだって少なくありませんが、基本的には民主主義というのはその成り立ちから言っても、多数の利益を実現する。
しかし今回のヨーロッパの事例のように、必要とされているのは「少数派を救済するために多数派が合意」することなんですよ。何十万人と難民たちが押し寄せることが確実視されていながらも、それでも彼らは少数派である。
だからこの手の問題って正しく民主主義国家であればあるほど苦労するのです。もちろん建前としては別(ただ反対するだけじゃ何を言われるか解ったもんじゃない)にしても、しかし本音ではヨーロッパでも当たり前ながら受け入れによる負担に反発する人は少なくない。問題はそうした人たちを説得できるかどうかに掛かっているんですよ。単純に善意だけで解決出来ればよかったのにね。しかし彼らは民主主義政治におけるまさに多数派である故に、他人事であればあるほど合意を維持するのは難しくなる。かくして今回の事例に限らず「ある程度は解決された」不平等問題なんかを解決するのに私たちは苦労するわけで。
法王、「難民への無関心」を批判 移民漂着の伊ランペドゥーザ島訪問 写真7枚 国際ニュース:AFPBB News
彼らがこれまで無関心であったのは、無関心でなくなるとそうしたコストに直面することが避けられないからという死ぬほど身も蓋もない理由が大きいわけで。その意味では誠実でもあるんですよね。直視したうえでただ拒否するよりも、見ないフリを続けるのは優しいと言えなくもない。だって直視したらまさに今回のような大騒動になるのは目に見えているのだから。必ずそうなれば結論を出さねばいけなくなってしまうから。


正しく民主主義政治の徒である私たちは、多数派の為ではない「少数派救済の為に多数派が合意する」をどこまで実現できるか?
みなさんはいかがお考えでしょうか?