こうするしかなかったのはわかるが、そこまでしてやる理由はなんだったのか

ドイツの技術力は世界一ィィィ! から生み出された不正。


VW、ディーゼル車不正の激震 王者転落でエコカー勢力図はどう変わる?|モビリティ羅針盤〜クルマ業界を俯瞰せよ 佃義夫|ダイヤモンド・オンライン
情報BOX:ディーゼルエンジンとVW「不正ソフト」の仕組み| Reuters
ということでここ数日で一気に大騒動となったフォルクスワーゲンさんちの誤魔化し騒動であります。しかし排出試験時だけソフトウェアで回避するって言われてみれば単純ですけども、まぁ見事にドイツの技術力が「上手く」出ちゃった感あって少し面白いです。実際それで少なくとも数年は世界を騙せていたわけだし。
重圧か利益か、かくしてVW(あるいはその技術者の一部は)は不正に走ることにした。それがなまじ上手くいったからこそこうして被害が致命的になっている、というのはドイツの歴史を見ても皮肉なお話でくすっとしてしまいますよね。




Hungary′s Orban criticizes Merkel′s ′moral imperialism′ | Germany| News and in-depth reporting from Berlin and beyond | DW | 23.09.2015
ともあれ、最近も難民関連で喧しい戦後ドイツの中心的使命でもある倫理的・道徳的指導者としての副産物、でもあるのかなぁとは少し思うんですよね。まさにメルケルさんなんかが見せつけているような世界における最高の「人道主義の担い手」であるヨーロッパの自負――上記記事での反対するハンガリー首相なんかに言わせれば『道徳的帝国主義』――があって、やっぱりそれは環境保護でも同様なわけですよ。ヨーロッパ人である彼らは(軍事バカ)アメリカとも、(エノコミックアニマルな)日本なんかとも違って、まさに国際社会における道徳・倫理・コモンセンスのオピニオンリーダーであると自負している。
まぁもちろんそうした考え自体は素晴らしいものではありますが、やはり失うモノ、払うべきコストは絶対に存在しているわけですよ。
人道主義や環境先進国など、その素晴らしき価値観を維持するために支払われるコストについて。


その意味で言えば、ハンガリーVWの境遇はちょっと似たところがあるのかなぁと思うんですよね。もちろん両者に非がないとは言いませんが、どちらもドイツ及びコアヨーロッパな人たちの『価値観』を守っていくための礎であり、故にそのコストによって追い詰められつつある下請けな人たち、という構図で。
ハンガリーの難民保護という人道主義にしろ、VWの厳格な排出規制という環境保護主義にしろ、ぶっちゃければヨーロッパの「ええかっこしい」の犠牲になっている。
車の排ガス試験で「抜け穴」要求、独仏英がロビー活動か 文書流出 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
アメリカによる『世界の警察』もそうですけども、『国際社会の先導者』というポジションを維持するのも楽じゃない。まさにそうした彼らの評判や優位性は必ずしも彼ら政治家自身の努力だけでなく、ハンガリーのようなEU外縁国、あるいはVWのような代表的企業の賢明な努力によって支えられてきたわけだから。


本邦から見てもあんまり他人事とは思えない、当人だけでなく下請けの努力によって、国際社会におけるプレゼンスが維持されている人たち。
果たしてそのような無茶はいつまでやっていけるのでしょうね? あるいは無茶も通せば道理となるのか。


みなさんはいかがお考えでしょうか?