(私たちが隠しておきたい内心を暴露した)VWの罪

上手く出来過ぎた故の罪


トヨタもVWの不正に抗議していた:日経ビジネスオンライン
ということで色々と炎上が延焼しつつあるVWさんちの愉快な騒動であります。僕の毎日通る道にもVW売店があって、まったく野次馬根性で興味深々で中を覗いていたりします。本部はともかくとして、がんばれ日本代理店。


ともあれ、でもまぁ以前も書いたようにこうした彼らの不正の仕組み自体を否定することはやっぱりできないかなぁと少し思ったりします。だって今回のVWの不正ってまさに、私たちが内心で(建前でなく本音として)考えていることそのものじゃないかと。
――つまり、彼らは価格や燃費性能のカタログスペックを偽ったのではなくて、環境性能の方「こそ」を偽ったという点で。

 試験時とリアルワールドでのデータの違いは、排ガスだけでなく燃費でもある。VWディーゼル車において燃費を優先したとするならば、環境よりカネを選んだとの批判を受けざるを得ないだろう。 なぜなら、燃費は直接消費者の便益になり、自動車の購入動機につながるが、排ガス性能は購入動機になることはあまりないからだ。

トヨタもVWの不正に抗議していた:日経ビジネスオンライン

だから結局のところ今回の構図って、VWは消費者である私たちが隠している内心を正しく読み取っただけ、という言い方もまたできるんじゃないかとも思うんですよね。彼らは環境性能が多少上下するよりも、本体価格や燃費性能そして乗り心地の方を重視するだろう、という至極当たり前のユーザーの要請を叶えただけ。
でもそれも当たり前ですよね。だって私たちは性能や燃費についての「違い」にはかなり敏感である一方で、多少排ガスを撒き散らされてもその違いなんて個人で体感的に解るはずもない。


これって現代世界における環境問題全般についてあれだけ危機が訴えられながらも――つまりそうしなければ耳目を集められないということの逆証明でもある――なかなか解決しないことの本丸そのものでもあるわけですよ。
ぶっちゃけマクロな地球環境の為に云々と言われても、しかしミクロな私たち個人にとってはそんなの(影響が小さい故に)見返りがひたすら小さい。
だからこそ、公害は――まさに私害でない故に、解決が難しいわけで。もちろん建前では別にしても、しかし内心として多かれ少なかれ抱くだろう、そんなの俺の利益にならない以上知ったことではない、という論理は強力すぎるんですよ。


VWは市場獲得の為に、燃費か環境かという究極の二択を迫られたとき、正しく後者を切り捨てた。
今回のVW不正とその一時的な成功が図らずも証明したのは、消費者である私たちが自家用車購入にあたって「今も尚」環境性能を二の次にするだろう、と彼らが考えている事実であり、更にはそれが概ね適切な評価でもあったという点なのでしょう。


VWの不正は普遍の真理をあまりにもあけすけに証明してしまった。そりゃみんな一層怒りを募らせるのも無理はないよね。だって彼らはただ不正をして私たちを騙したというだけでなく、間接的には「結局は環境より燃費だろう」という消費者心理を正しく見抜くことで、内心に隠しておきたいはずの本音をも暴露したのだから。
経済的合理性の前にミクロな個々人はともかくマクロとして見れば意識の高さはしばしば敗北する。


そんなコラテラルダメージVW批判の一端を担っているのではないかと思ったりします。
がんばれVW