私たちは過ちを忘れない(繰り返さないとは言ってない)

そういえば昨日「戦争の悲劇は繰り返さない」なユネスコのネタで、書こうと思っていた国連ネタ思い出したので。


イエメンへ調査団派遣阻止 - 産経ニュース
最近の出来事としてひたすら象徴的だったのが、現代国際社会に冠たる国連という組織の「いかにもな振る舞い」だったイエメンへの人権状況調査団の顛末でした。

オランダは、イエメンでの人権状況を監視するための調査団を受け入れるよう同国に求める決議案を提出した。一方、サウジは別の決議案を提出。調査団の派遣は盛り込まず、人権状況の改善に向けた「技術支援」を受け入れるようイエメンに求めた。

 結局オランダは9月30日、決議案を取り下げ、人権理は今月2日、サウジの決議案を全会一致で採択した。国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチはサウジからの強い圧力があったと指摘。米国もサウジへの配慮からオランダ案を積極的に支援しなかったとされる。(共同)

イエメンへ調査団派遣阻止 - 産経ニュース

ザ・そびえたつクソ。
自称リベラルな僕個人としては、(無駄だとは言うつもりは無論ありませんが)過去の性暴力や虐殺等戦争犯罪の悲劇に心を痛めるよりも、むしろそのリソースを現在進行形で進む――それこそ過去と同じかそれ以上に悲惨な――悲劇の解決にこそ投入した方がマシだと信じていますが、しかしそれをやるには肝心の国連は無力であることが多すぎるよねぇと。


今起きている戦争犯罪や悲劇よりも、過去の悲劇にコミットする人の方ががずっと多いことについてはまぁハラショーな気分にはなってしまいますが、でも仕方ないよね。だって今起きている問題を解決することよりも、過去の非道を非難する方がずっと簡単だから。自分に無関係な人びとを「今」救うより、自分が興味ある過去の話をしていた方がポジショントークしやすいから。少なくとも私たちが多かれ少なかれ持っている『善意』を、それで満足させることができるから。


内戦で何十万人と殺され何百万人と難民になったり、あるいは性奴隷とされていたり、あるいは文字通り人種隔離政策が進んでいても、現在の問題であれば私たちは多くの場合で無力でしかない。まさに記憶するとしたはずの過去の悲劇と同等あるいはそれ以上の悲劇が進行していても、今起きている悲劇に見ないフリを続けるだけ。
――でも過去の悲劇は忘れないように努力しているからセーフだよね、なんて。


素晴らしき善意に溢れる私たちは「現在」増え続ける罪を止めることはできなくても、「過去」の罪の数を数え続けることはできる。現実の戦争を止めることはできなくても、(まさにユネスコの憲章の通り)心の中に平和を築くことはできる。


がんばれ人類。