「歪んだエコツーリズム」の正しさはどれくらい?

必要悪の射程距離について。


人気ライオン殺した米歯科医、訴追見送り ジンバブエ当局 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
そういえば一時期話題になってうちの日記でもちょっとネタにしたものの、例によって例のごとく数か月で忘れ去られた、セシルさんのオチが出ていたそうで。

ジンバブエのオッパ・ムチングリ(Oppah Muchinguri)環境相は7月末、米国に対し、パーマー氏の身柄引き渡しを要請。ソーシャルメディア上で激しく糾弾された同氏は、米ミネソタ(Minnesota)州で開業している歯科医院の前で抗議デモが繰り返されると、数週間にわたって行方をくらませていた。

 しかしムチングリ環境相は12日記者団に対し、パーマー氏がジンバブエ入りした際の書類に「不備がなかった」ことを明かし、同氏に対するいかなる法的措置も講じない方針を発表した。さらにムチングリ氏は、「今後狩猟割り当ての設定方法の見直しを行っていく」意向を示した。

人気ライオン殺した米歯科医、訴追見送り ジンバブエ当局 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

うーん、まぁ、そうね。無難なオチではあるかなぁと。少なくとも合法的に――基本的にきちんと許可=金を払えばあちらではハンティングは違法ではない――彼がそうしていたならば、逮捕される理由はないよねぇと。
というかもしそれで逮捕されたら一大観光資源である「上客」たちが去っていってしまうのは確実でしょう。わざわざ金の卵を逃すなんて。


この分野における古典的教科書である『ライオンの経済学*1』なんかでは「経済的に劣っている故にライオンは狩猟よりも観光資源に充てるべきである」としているわけですけども、ライオン保護にある程度まで成功し余剰資源ができるようになったり、あるいは経済原則に則って狩猟許可証の価格が高騰するようになると、ライオンを狩猟させることの経済的優位性が生まれるわけで。
以前も書いたように、結局、こうしたスポーツハンティングも、ある意味で『エコツーリズム』の一形態なんですよね。観光することによって現地の観光資源を長期的に保護・維持していく素晴らしきエコツーリズム。もちろんそれが歪んだ形であることは否定できませんけど。


さて、問題は、こうした現地の人たちとライオンとの歪な共生関係が既に存在している上で、部外者である私たちはその行為に口を出す権利があるか、というお話であるわけですよ。
もちろん「スポーツとしての狩り」に気に入らない人が少なくないのは解ります。では、そうした善意ある他者な私たちが気に食わないからといって、まさにその土地にすむ当事者である彼らの行為を止めさせるだけの権利が私たちには存在するか?
概ね道徳的に100%正しいことではない、ということは言うことはできる。ではそれをやめさせることは?


まぁ世の中には古今東西、自らの信じる正義の為には素朴に他者の自由など奪ってしまって構わない、という愉快な人たちがいらっしゃるわけですけども、正直この点に関しては微妙だよねぇと。
この辺は私たちに身近な炎上案件でも問われるありがちな問題でもあるかなぁと思います。確かに件の人物がバカで批判されるに値するのは、黒か白かで言えば、間違いない。ではそれが一体どれくらい黒でどれくらい白か、というのはやっぱりまた別問題なんですよね。
黒であったらどんな正義の鉄槌を下しても許されるわけではないし、逆に白であればどんな不正義をやっても許されるわけではない。今回のセシルさんの騒動は、ハンティングした彼の行動と、それを炎上させた正義の群衆たち、そしてそれを容認する現地ジンバブエ観光関係者、それぞれがまぁ見事にグレーな部分をより際立出せた愉快なお話だったかなぁと。


みなさんはいかがお考えでしょうか?