『自然法』という信念に基づいた責任をどこまで問えるか?

結論としてはやっぱり無罪でなく推定無罪=ノットギルティでしかないかなぁと。


CNN.co.jp : イラク進攻は「誤りだった」、ブレア元英首相が謝罪 CNN EXCLUSIVE - (1/2)
ブレア元英首相、IS台頭はイラク戦争と関係あると認める - BBCニュース
ということでブレアさんのちょっと曖昧な悔恨であります。

さらに、欧米の介入についての政治的論争はまだ結論が出ていないと述べ、「イラクでは介入を試みて派兵した。リビアでは派兵せずに介入を試みた。シリアでは一切の介入を試みず、政権交代を要求している」と指摘。「我々の政策はうまくいかなかったかもしれないが、それに続く政策がうまくいったのかどうか、私にははっきりしない」と語った。

CNN.co.jp : イラク進攻は「誤りだった」、ブレア元英首相が謝罪 CNN EXCLUSIVE - (1/2)

うーん、まぁ、そうね。少なくとも結果論についてはその通りかなぁと。特に昨今しばしば語られる、国際政治において上記イラクリビア・シリアの対応の違い――特にオバマさんによる米国外交政策の「対応の違い」からの「結果の違い」という比較は今後とも興味深く研究されていく分野であり、現在一概にどうこう言うのは適切ではないかなぁと。
そもそもポジションによって成否はまったく違いますしね。そりゃ兵士の命と金を出した英米からは文句が出るでしょうけど、それこそ現在のシリア動乱における重要なプレイヤーであるクルドさんたちは大喜びでもあったわけで。実際まさに彼らはフセイン後の混乱に乗じることで、まさに千載一遇の機会を得つつある。
当時にもそうしたポジショントークからイラクにおける派兵支持を訴える人は、化学兵器による虐殺被害者であるクルドな人たちやイラク国民会議を中心に(だからこそアメリカはその声を採用した)多かったわけで。


ただまぁブレアさんが批判されているのは別にそういう所じゃないですよね。いや、もし、今イラクが戦争前よりも安定し国民たちが平穏無事な生活を送れていれば確かに今言われているような批判の大部分はなかっただろうというのは、おそらく、間違いないでしょう。本質的な問題は、当時イギリス及びアメリカでイラク侵攻世論を生み出すために行われた、悪く言えば扇動、良く言えば『高貴な嘘』の是非でもあります。
フセインアルカイダの後見人であり、大量の大量破壊兵器保有者である、という神話の是非。今となっては話は別だとしても、しかし少なくとも当時にはそこに一定の説得力があったわけですよ。
また、そこから更にもう一歩先の核心にあるのは、彼の信念である「フセイン討伐は正しかった」は間違っているか否か、という話でもある。




結局のところ、まさに上記ブレアさんにしろあるいは子ブッシュさんなんかにしろ、問題は完全なウソを言っているわけではないという所が議論の一番メンドクサイところでもあるわけですよ。高貴ではないにしても、しかしまったくのただデマというわけでもない。
彼らはまさに自らの善悪の価値観=正義=自然法に基づいて、多少怪しいところがある情報を信じ、目的としては信じるところの正義を遂行した。虐げられているイラク国民を救うのだ。

イラク進攻の決断を「戦争犯罪」とする見方もあると指摘されたブレア氏は、あの当時は自分が正しいと思ったことをしたと強調、「今になってそれが正しかったかどうかは、それぞれで判断すればいい」との認識を示した。

CNN.co.jp : イラク進攻は「誤りだった」、ブレア元英首相が謝罪 CNN EXCLUSIVE - (1/2)

おそらくどちらも、本気で善意から、あるいは責任回避として、その目的を信じている。この論理を覆すのはすごく難しいわけですよ。彼らはどちらもシュトラウス先生の言う所の『自然法』に沿っただけだと主張している。背任等解りやすい瑕疵があるならともかく、政治家が良かれと思ってやったことについて、なんらかの個人的責任を問えるか?
――上記でも書いたように、私たちが政策を結果論的に成否で見てしまう以上難しいよねぇと。
情報は誤りだった、しかし目的は間違っていなかった。
そして現実はまさにその通りに、彼ら当時の英米政治指導者たちは数々の批判を受けながらも、しかしそれ以上の罪を背負うことはない。何故なら無罪では決してないものの、しかし有罪とも言えないから。推定無罪な人たち。


みなさんはいかがお考えでしょうか?