情報量はバクハツだー

素晴らしきインターネット世界のその後にあったもう一つの側面。


メディアへの信頼度が高いだけに世論誘導されやすい日本 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
うーん、まぁ、そうね。

 メディアが一方的に大量伝達する情報によって、大衆は思想や心理を簡単に操作される(歪められる)。内閣府の『少年非行に関する世論調査』(2015年7月)によると,国民の8割近くが「非行は増えていると思う」と答えているが、統計でわかる事実はその逆で、少年非行は減少している。少年犯罪を伝えるセンセーショナルな報道に影響されているのだろう。このように歪められた世論に押されて政策が決められるとしたら、甚だ恐ろしいことだ。

 自分の頭で考えるのは億劫だ、頼ることのできる情報が欲しい......。日本社会には、そのような思考が蔓延しているのかもしれない。メディアで大量伝達される情報を鵜呑みにせず、自分の頭で考える。情報化が進んだ現代社会では、そんなあたり前のことが極めて重要だ。学校の情報教育でも、「メディア・リテラシー」を重視する必要があるだろう。

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まぁある意味で当然の帰結ではありますよね。インターネットなどによる情報革命は必然的に情報流通量そのものを桁が違う単位で増加させた。やがて次にやってくるのは、何が起きているかを説明するための、単純化された解りやすいストーリーが求められているようになっているわけで。例えばあちらでも高級紙なんかに限って言えば同じくらいの信用度が出るんじゃないかと思います。
あるニュースにおける、その文脈と影響について。
もちろん元々興味や時間がある人はいいんですよ。しかしそうではない人の方が絶対に多数派でしょう。メディアリテラシーと言うのは簡単なんですけどね。しかし急に人が適当できるわけない。それこそ「ならば今すぐ愚民どもに叡智を授けてみせろ」というお話になってしまう。それはまぁ報道だけに限らず、肥大化していく社会や組織集団全般に言えるお話でもあります。そこで意思決定者たちにとって「適切な」必要情報を集めるのは死活問題になっている。


ということで、もうしばらくはその要約を提供するマスコミの役割は無くならないし、短中期的には増しているとすら言えるかもしれません。情報量が増えたからこそ、彼らはより重要性を増している。
ただ、やっぱりそこには必ず現実的な取捨選択と単純化が避けられないわけですよ。それは彼ら報道する側もまた同じ人間である以上避けられないジレンマであります。誰も神の眼で見ることはできない。そして出力される要約されたストーリーは必ずその個人や編集の価値観による歪みを受ける。
このことは避けられないとしても、しかし最低限自覚的であるべきでしょう。
言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを(政治的影響力の意味で) - maukitiの日記
以前も少し書いたお話ではありますが、こうした要因があり、だからこそ、現代マスコミの手による『高貴な嘘』は、むしろネットが普及した現代だからこそより危険さが増している面もあるのだと思うんですよね。まさに彼らはそうした神話を意図的に生み出しやすい。マスコミというのは扇動的な政治家と同等かあるいはそれ以上に適したポジションにいるわけだから。
多様性とデマのあいだ - maukitiの日記
その意味で、先日も日記ネタにしたカナコロさんの態度はそれはそれで正しいものの、しかし同時にまた危うさを感じてしまうんですよね。現代マスコミの大きな役割がそうしたニュースの要約することであるのに、堂々と偏っていると無邪気にいわれても正直困惑してしまいます。


みなさんはいかがお考えでしょうか?