二面性というよりは簡易(外交版)ポリティカル・コンパス

あるいはキッシンジャー評価で見られるゲシュタルトのスイッチ。


偉大な政治家と冷徹な殺人鬼、2つの顔を持つ男 ヘンリー・キッシンジャーを巡り米論壇が真っ二つに | JBpress(日本ビジネスプレス)
キッシンジャー先生が持つ二面性について。

 だが、なぜ、キッシンジャーという1人の人間に「豊かな博識(So much erudition)と、賢者としての賢明さの欠如(So little wisdom)」(ザック・ドーフマン「Ethics & International Affairs」編集長)とが混然一体となって共存しているのか。

 その謎を解き明かすまでには至っていない。

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うーん、まぁ、そうね。キッシンジャー自身の二面性というよりは、国際関係における『外交』の見方による二極化という方が適切かなぁと。
それこそ古典的現実主義者な人にとって、国家の外交政策とは「普遍的道義性よりも国家生存が優先する」そのものであって故に「外交」なんてどこまでいっても非人間的で、逆に言えば、そんなことを実行する外交政策なんて、是非はともかくとして、それはむしろ批判されてしまう対象だと考えているだろうし。
一方で、国家関係をただゼロサムゲームのみで捉えないリベラルな普遍的価値観を追求すべきであるという人たちにとっては、まさに彼の目的(国益・国家安全保障)の為に手段を選ばないやり方は唾棄すべきものであるだろうし。


結局、同じものを見て、そこから(自身の文脈によって)何を見るか、というお話でしかないと思うんですよね。21世紀の現代国際関係において、外交政策とはどうあるべきか。ホッブズ? それともカント?
キッシンジャーという大人物の経歴を見て、あなたのゲシュタルトスイッチがどちらに働くか。その意味で言えば現実主義の代表的人物であり、その実例にも事欠かない彼は解りやすいコンパスなのかなぁと。


もちろんただ黒か白かで判断できるものではなく、どちらにもその濃淡があるでしょう。まるで騙し絵のように、見る人・価値観・時代によってその印象を変えるキッシンジャーという人物について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?