一部を取り合げて全体をその属性でくくるっていうレイシズムの典型例を晒す人たち

人は何故同じ過ちを繰り返してしまうのか問題。



難波のとらのあなでヘイト本平積み - Togetter
あーこれ知ってます。『9・11』を見て、「イスラム教徒の犯人がこんなことしてる、死ねよイスラム」とか言う奴ですね。
――で、それに反論すると更に先鋭化して(実際にどうかを確かめもしないくせに)「イスラム教徒でビンラディン批判を控えている奴ら全員同罪だ」とか言うパターン。本当はそうでない人たちだって一杯いるのにね。一部を見て、それを全体化して論う人たち。
かくして、その後にやってくるのは、〇〇は(より能動的に批判することで)無罪であることを立証する責任がある、とか言い出すクソ愉快な光景となるのでした。シャルリーなんかでもそうでしたけど、むしろ今欧米なんかであるクリティカルなイスラムヘイトってそういう構図こそが問題となっているのにね。
「同じ文化集団にありながら〇〇を批判しない奴は同罪だ」なんて。


でもまぁ昔から「俺は黒人と差別が大嫌いだ」みたいなネタで鉄板でもありますよね。もちろんこれは、例えば「同じ在日への批判をしない奴は同罪だ」とか言い出す愉快な人も逆側には居たりするので、やっぱり普遍的な光景なのでしょう。
何故人は同じ過ちを犯してしまうのか。
中にある多様性を無視しては、ステレオタイプなレッテル貼り=単純化に興じてしまう私たち。それこそオタクといっても千差万別であるはずなのにね。
まぁでも世の中を黒か白か、敵か味方かという解りやすい世界であった方が話は解りやすいから仕方ないのかもしれない。実際twitterなんか140文字でそのすべてを語るなんてことできない以上、どうにかして単純化した方が話しやすいの理解できます。ということで結局は複雑な世界を無視するインセンティブとなるのは「単純化の誘惑」というお話なのかなぁと個人的には思います。
まぁそっちの方が話すのも考えるのも楽だしね。人はいつだって楽な方に流れるのだ。そして「オタクってクソよね」なんていう雑すぎる発言へ。



一部を取り合げて全体を属性でくくるっていうレイシズムの典型例を晒す人たち。
がんばれ人類。