「人身御供」「人心安定」のための仏空爆

「正しく恐れる」についての一つの解答。


仏外相「防衛のため対抗措置は当然だ」 NHKニュース
ということでパリの反撃とばかりに――実際には彼らが以前から既にやっていたことでもあるんですが――空爆に打って出たフランスさんちであります。「パリから愛をこめて」とミサイルを撃ちこむ人たち。『9・11』後のアメリカを笑えないよね。

この空爆についてフランスのファビウス外相は、15日、訪問先のトルコで記者団に「ISから攻撃を受けた以上、フランスが防衛のために対抗措置をとったのは当然だ」と述べました。フランスのメディアは今回の空爆について、フランス軍がことし9月からシリアで行っている空爆のなかで最も大きな規模だったと伝えており、ファビウス外相としては、空爆を継続することで、フランス政府としてテロに屈しない強い姿勢を示したものとみられます。

仏外相「防衛のため対抗措置は当然だ」 NHKニュース

こうした復讐的行為は、本邦でも平和を愛する人たちからはあまり評判はよくありませんが、それでもまったく無意味かというとやっぱりそうではないのでしょう。それは単純に軍事的に『イスラム国』壊滅に寄与するかというとおそらくそうではないし、またテロ攻撃を抑止するという意味でも池内先生なんかが指摘しているように*1、少なくとも短期的には大して意味はない。


じゃあ何でこんなことをやっているのかといえば、そりゃフランスの人びとの恐怖を和らげるために、であるわけですよ。


昨日の日記*2でも書いたように、ヒトとしての私たちが避けられない「恐怖」というのはそれはもう厄介なモノであります。それが行き過ぎれば、暗がりでも枯れ尾花でも、何もかも化物に見えてしまう。やがてやってくるのは差別と憎悪と私刑の横行であり社会集団の崩壊であります。故に私たちは社会的動物としてやっていくためにこそ、どうにかして恐怖を飼いならす必要がある。
この際限なく膨らみかねない恐怖を抑制するのが、ウソでも気休めでもいい、恐怖に対する対応策であり保険であり保障であり、つまり安心感なのです。恐怖に対して適切に対処することで抑制する。ルーズベルトさんが言った「正しく恐れる」とはつまりそういうことでもあります。
昔から人身御供とかやってきたように、例えそれが実際には因果関係と無関係で効果がないとしても、しかし人心を沈めるには一定の意味がある。人びとがカリスマ指導者を素朴に嗜好する理由の一つとして、この(例え根拠がなくても)安心感を抱きやすいという面があるわけで。
――といってもまぁやっぱり普通教育が行き届いた現代社会では「どうにかするから安心しろ」の一言だけで説得力を持たせるカリスマ性を持てる人なんてほとんど居ないわけですけど。


故に、現代ではまた別の方向で説得力を持たせることで、人々の恐怖を和らげる必要がある。
オランド仏大統領、IS打倒の決意表明 - BBCニュース
仏、非常事態3カ月に延長要請 大統領権限強化も求める - 47NEWS(よんななニュース)
大統領権限強化で憲法一部改正求める - 47NEWS(よんななニュース)
それが非常事態宣言であり、アメリカやフランスやイギリスなんかが見せる具体的対処能力=軍事力の誇示であったり、あるいは国際社会協調という建前だったりする。これらの行為の重要な目的とは、そうすることで政府は無力でなく我々は危機に対処する為に行動している、と国民向けのメッセージなんですよ。




乙武洋匡さん、暴力ではなく対話呼びかける「犯行グループも国際社会」【パリ同時多発テロ】 | ハフポスト
乙武さんが素晴らしき対話を訴えていましたけども、まぁ確かにそれで「安心」する人が居ないとは言えないでしょう。確かにゼロでは決してないものの、しかし現実にテロリストの攻撃を受けて、その言葉にで安心する人が多数派だとも絶対に言えませんよね。

  • 「我々は尚も『イスラム国』に対しても空爆できるだけのパワーがあります。皆さん安心してください」
  • 「我々はテロをされても尚、『イスラム国』と対話をしていくことで平和を実現します。皆さん安心してください」

自国市民に安全を提供することを存在意義に重きを置く国家運営を担う政治家たちにとって、問題はどちらが道徳的に正しいか、あるいはどちらが現実的に効果があるか、というお話ではないんですよ。
それは身も蓋も無く、どちらが人びとの恐怖を和らげ安心を与えることができるか、という点に尽きる。そしてフランスも後者を提示した。それがフランス国民に通じるのかは、部外者で日本人である僕に評価することはできませんが、しかし少なくともフランス大統領である彼は、それこそがフランスの人びとに安心を与える言葉であり行動だと信じている。

国際社会が一致団結すべきという考えは、安倍首相だけでなく他の国の首相からも出ている。トルコのエルドアン大統領は14日、犠牲者への弔意を示すとともにテロに対する国際社会の一致団結を伝えた。ロシアのプーチン大統領も同日、フランスのオランド大統領に電報で、テロと戦うために国際社会が団結する必要があると指摘した。アメリカのオバマ大統領もオランド大統領と、「世界の国々と協力し、テロを引き起こした者を打ち負かす決意」を確認した。

一方で、これらの考え方について疑問を呈する声もあがっている。文筆家の乙武洋匡さんは15日、犯行グループも国際社会ではないかとする考えをTwitterに投稿した。

乙武洋匡さん、暴力ではなく対話呼びかける「犯行グループも国際社会」【パリ同時多発テロ】 | ハフポスト

重要なのは「国際社会が一致して和平を目指す」というただ表向きの言葉そのものじゃない。それは不安を抱えるフランス人たちへの慰め、だけでなく、「もしかしたら自分たちも標的にされるかもしれない」と恐れる他の国民たちへの言葉でもあります。
「国際社会が一致して和平を目指す(だから皆さん安心してください)」
安倍さんだけでなく多くの国の政治指導者たちが言っているこの言葉って、良くも悪くも、少なくとも当面はこれだけの意味しかないのです。意訳すれば「おまえらおちつけ、でーじょうぶだ」位の意味しかない。しかしそれでも、テロに不安を感じる人々の人心安定という意味では、少なくとも何もしないよりはずっとマシ程度には意味がある。
ぶっちゃけそこにマジレスしてもあんまり意味ないよね。




かくしてパリ攻撃に揺れるフランス政府は「正しく恐れる」為に、国際社会協調を訴えることで孤立無援でないことをアピールし、非常事態宣言をすることで政府が危機に際して機能停止していないことを知らしめ、『イスラム国』兵士の命を空爆によって人身御供に捧げている。危機はあるが、しかし我々には対処能力があるので安心してほしい、と。
やはりそれが根本的な問題解決に繋がっていないと言う事は概ね正しいでしょう。しかし、フランスが受けたテロの恐怖の膨張を抑制し飼いならそうとする必死の努力としては、それなりに正しいのではないかと個人的には思います。



みなさんはいかがお考えでしょうか?