古くて新しい「テロリストは世界を変えられるか?」問題の最前線

「テロなんかでは我々の社会は変えられない!」「テロを教訓に銃規制(国境自由通行)は変えよう!」なんて。


オバマ米大統領、加州銃撃はテロと 執務室から異例の演説 - BBCニュース
ということでカリフォルニアでの銃撃事件を受けてのオバマさんの演説。(タイミングという意味でも、当局からノーマーク=一般人と思われていたのに銃器満載で殺す気満々という意味でも)確かに結構ヤバい事件だなぁとは思いましたけど、まさか大統領執務室からとは。ニュース本文でも触れられていますけども、そのこと自体が重大事件となっていることの証左でもありますよね。
それこそ「住民パニック」と「扇動」が組み合わさって起きたのが、あのルワンダでもあったわけで。フツ族大統領が墜落死の余波を受けて「ツチ族を殺せ!」とラジオ扇動によって始まった大虐殺。
もちろんアメリカが一足飛びにそんな地平にまで行くとはまったくありえないでしょうけども、しかし――これは私たち日本でも他人事とは言えない――そんな「イスラム住民は危険だ!」という扇動に乗ってしまうバカがまったく居ないとは絶対に言えないわけで。そして、そんな少数のバカの暴走が積み重なればいつかルワンダの次元に行き着いてしまうかもしれない。
これを抑止する為の異例なオーバルオフィスでの演説、というのはオバマさんの危機感と覚悟がよく解るお話ではあるんじゃないかと。もちろんその覚悟は素晴らしいものの、しかしそこまで状況はヤバいと考えられていることの解りやすい証左。





ともあれ、上記舞台の意味は解りやすいですけど、肝心のオバマさん演説の中身ってそれぞれ矛盾したことを言っているんじゃないかと思うんですよね。

その上で「自由は恐怖よりも強力だ」として、ムスリム系市民を敵視するなどアメリカ社会を分断するような行動はむしろ過激主義者の思うつぼだと警告した。

オバマ米大統領、加州銃撃はテロと 執務室から異例の演説 - BBCニュース

確かにテロによって社会は変えられない! 俺たちは強い! ノーチェンジ! と訴えていること自体は同意できます。しかしその一方で、

さらにテロリズムと戦うためにアメリカ国内でできることとして、銃規制強化を呼びかけたほか、サンバーナディーノ郡銃撃の女性容疑者が当初アメリカに入国した査証免除制度を再点検するよう、国土安全保障省に指示したと説明した。

オバマ米大統領、加州銃撃はテロと 執務室から異例の演説 - BBCニュース

でもテロを受けて銃規制は変えよう。社会を変えよう! 俺たちは賢い! ウィーキャンチェンジ! と訴えている。



これって見事にそれぞれ矛盾したことを言っているよねぇ。いや、もちろん意図は理解できるんですよ。テロによって社会を悪く変えてはいけない、良く変えよう、と。
でもそれってベクトルが逆、あるいは自発的か受動的かという違いはあるにしても、「変わる」こと自体については同じでしょう。更に言えばその「良く」と「悪く」だって個人のポジションによって変わる程度のモノでしかない。
だから今回の件で銃規制を訴えるのって、チャンスどころかむしろよりハードル高くなっているんじゃないかと思うんですよね。だってここで変えたら「テロによって銃規制が変化した」という事になってしまうから。これは反対派にしたらものすごく強力(個人的にはこれって強力すぎるので議論が劣勢になった際のニュークリアオプションだと思いますが)なアピールポイントでしょう。
「テロリストによって、私たちアメリカ伝統としてある銃所持の権利を変えていいのか!」なんて。




変えるべきか変えざるべきか。そんな風に矛盾する悩みに直面するアメリカさんではありますが、これって同じくテロに揺れるヨーロッパでも状況は似ているわけですよ。テロが難民問題とリンクしている彼らは、アメリカと同じくらい、あるいはそれ以上に矛盾する悩みに直面している。

  • 「テロでは我々の(多文化)社会を変えられない!」
  • 「テロによって我々の社会(難民政策)を変えよう!」

もちろんこちらも「良く」変わるならば問題ないと単純に考えることもできるでしょう。まぁやっぱりそうは言っても「良く」「悪く」の定義なんて個人の問題――それこそルペンさんとメルケルさんの難民政策の良い悪い変化についてはまったく別でしょう――でしかないんですけど。



果たしてアメリカは、ヨーロッパはテロによって『変化』するのか?
そしてそれはそのままテロリズムによる政治目的達成の可能性について、逆説的に証明することにもなってしまうんじゃないかと。


みなさんはいかがお考えでしょうか?