『経済』だけでない中国悲観論の多面性

経済的中国悲観論はハズレたものの、しかし政治的・地政学的中国悲観論は成就しつつある.



欠点があり、熱っぽい中国の台頭を称えよう 悲観論者に耳を貸してはならない理由 | JBpress(日本ビジネスプレス)
うーん、まぁ、そうね、イギリス向け評論としてはこの辺のポジションでちょうどいいのでしょう。悲観論において重要なのは、単純に物理的な意味での「距離」というだけでなく、心的な意味での「距離」も重要であるわけだから。
それこそ日本にとっての、ウクライナや中東の騒動なんか放っておけばいいじゃないか、というのはほとんど完全に衆目の一致するところでもあるわけで。でもヨーロッパにとっては絶対そうではありませんよね。それと同じく日本にとって中国問題はあまりにも重要すぎて楽観論だけでは収まらない、という辺りがこの構図の本質ではないかと思います。

いくつかの指標を見る限り、中国は崩壊するどころかますます力を付けている。現在の国内総生産GDP)は日本の2倍を超えており、購買力平価(PPP)換算のGDPでは、昨年米国を抜いて世界最大となっている。1人当たりGDPも伸びており、わずか15年で米国の8%相当額から25%相当額に跳ね上がった。

 日本には、中国の破綻を心の中で願っている人が多い。理由がないわけではない。彼らは、歴史書を手にした執念深い、そして力も強い隣国を恐れているのだ。だが、米国や欧州にも、中国なんてトランプで作った家のようなものだと思っている人はいる。『The Coming Collapse of China(邦題:やがて中国の崩壊がはじまる)』といったタイトルの本は、もう何年も前から定番になっている。

欠点があり、熱っぽい中国の台頭を称えよう 悲観論者に耳を貸してはならない理由 | JBpress(日本ビジネスプレス)

まぁもちろん経済面について「中国崩壊前夜!」な人たちも全然少なくありませんが、ただ本邦におけるそんな楽観論ってまた別の意味での悲観論とセットになっているわけで。こちらの意味での『中国悲観論』って実はほとんど予言を成就させているんですよね。
経済的悲観論はほとんどまったくハズしたものの、しかし政治的・地政学的中国悲観論は半分以上は現実になっている。もちろん全面戦争という最悪の事態こそ回避しているものの、でもこんな軍事力膨張に領土拡張欲丸出しになるなんてこれまで語られてきた楽観論からはまったく話が違っているじゃないですか。
それこそ欧米及び一部日本人なんかは劇的に経済成長する現代中国を「やがて民主主義に」とか「責任あるステークホルダー」になると無邪気に称えていたのにね。でも日本の少なくない一部からすれば、そんなことはなくむしろ軍事膨張し地域の脅威になる、とごくごく自然に悲観していたわけで。
――そして蓋を開けてみて結果はご覧の有様なわけですよ。その意味で言えば『中国悲観論』は正解だったと言えますよね。
中国ネット規制 習体制下でさらに厳しく - BBCニュース
中国で拷問が「深く定着」、国連委が警告 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
経済成長しながら統制体制を手放さなかったシンガポールなんかを「明るい北朝鮮」と呼んでいましたけども、現代中国はむしろ「超大国北朝鮮」という感じになりつつある。




北京「赤色警報」3日目、2100の工場で生産中止や削減 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News
ちなみに個人的に次に中国悲観論に関する面白いテストケースとなりそうだと思っているのは、昨今も話題の大気汚染等のような中国の環境的悲観論が試される点かなぁと。
今の中国同様に、高度成長期に各地で「環境汚染」という負の遺産を抱えた私たち日本ですが、それはまぁ概ね改善され(遅々とした歩みながら)補償なんかがされてきたわけですよ。でもやっぱりそうした政治的解決のインセンティブとなったのはやっぱり民主主義政治にその要因の一つでもあったわけで。私たちは素朴にその民意として要請してきた。だからこそ民主主義政治は、住民意思を無視できないという意味で、環境保全と概ね親和的だと言われてきたわけで。
果たして現代中国は、民主主義無しに環境問題を(中国国民が概ね満足できるレベルで)解決できるのか、という問題は政治的にも興味深い挑戦になるよなぁと。もしこれも上手くやったらまた中国式政権運営の魅力が増してしまいそうです。
いやまぁ現状を見る限りでは、身も蓋もなく強権で黙らせる、という愉快な解決方法の可能性の方が高いと思われているんですけど。




中国について、経済的悲観論はほとんどハズレているものの、しかし政治的・地政学的な中国悲観論はだいたい当たっている。
日本でしばしば囁かれる中国悲観論って、まぁもちろんバカげた言説も多いんですが、しかしただ経済だけでない多面性があることを考えなければその構図について正しく理解できないのではないかと思います。
最初にも書いた、日本人が本質的にはヨーロッパにとってのウクライナや中東・欧州統合の問題を理解できないのと同じ様に、この悲観論の多面性はイギリスの人たちには解らないだろうなぁと。現代中国について楽観と悲観が入り混じった複雑な視線を送る私たち。


みなさんはいかがお考えでしょうか?