多文化主義は人種差別主義者たちの最後の砦

多文化主義と人種差別は紙一重だから仕方ないよね。


メルケル首相「多文化主義は完全に失敗」ー今この発言に注目すべき理由 | ハフポスト
うーん、まぁ、そうね。やっぱり「結果としてみれば」失敗しているのは間違いないでしょう。

しかし、本当に重要なのは、ドイツ国民がどう異文化を受け入れるかだ。「受け入れるべきだ」と盲目的に言っても意味はないし、メルケル首相を責めても解決はしない。動物の本能でいえば、異なるものには拒否反応を示す。しかし、理性によって、異文化をどこまで許容できるのか、ドイツ、そして世界中が直面している。ここから目を背けても何も解決しないだろう。

メルケル首相「多文化主義は完全に失敗」ー今この発言に注目すべき理由 | ハフポスト

ただまぁ身も蓋もないお話をすれば、これって半ば約束された失敗でもあったわけですよ。特に進行が一足早かった西欧では、移民文化受け入れ失敗の問題って1990年代から既に言われていたわけで。当時からむしろ問題となっていたのは「多文化主義を名目にした人種差別」でもあったのです。


この辺は以前少し日記で触れたものの、かなり可燃性高そうだったので前置きだけ書いて放り投げたネタでもあります。
「文化的自由の為の多様性を維持する為に文化的自由を制限する」人びと - maukitiの日記
つまりある種の賢い、あるいは狡猾な人種差別主義な人たちって、様々な(自分たちとは違う言語・宗教・文化)人間社会を分離しておく必要性を正当化する為に、まずそれを賞賛する。
「みんなちがって、みんないい」なんて。
そうやって独自性を強調した上で、地元社会との統合ではなく、彼らの独自のアイデンティティを固辞し続けることが彼らの素晴らしき伝統的社会の利益になると主張するのです。彼らの独自性・文化的自由を守るために、新しくやってきた移民や難民たちは我々とは一緒ではなく離れて暮らすべきである。賢い人種別主義者は、急進的な多文化主義者を振る舞うことで、清く正しい反人種差別主義者となった。
少し前に曽野さんが似たようなことを言って炎上していましたけども、あの発言が問題なのってこうした構図が上記西欧の新たな形の人種差別主義として「従来から」存在してきた点にあるんですよ。


我々は多文化主義者であり、彼ら独自の文化を尊重し、だからこそ「我々と彼らは離れて暮らすべきである」と主張する。
――果たしてこう主張する人は、反人種差別主義者なのか? それとも人種差別主義者なのか?


もちろん真剣に多文化主義を考えていた善意あるリベラルな人たちも当然居たでしょう。しかし皮肉にも西欧で「失敗した」とされる多文化主義って、集団のアイデンティティを完全に尊重する体を採ることで、逆説的に我々と彼らは区別し分離しておくべきだ、という人種差別主義者たちの隠れ蓑として悪用されてもきたのでした。
そりゃメルケルさんも、素晴らしき多文化主義が失敗だったとぶっちゃけちゃいますよね。
多文化主義は人種差別主義者たちの最後の砦だった、という愉快なお話。次は悪用されないといいね。


みなさんはいかがお考えでしょうか?