「多文化主義が人種差別主義者の隠れ蓑使われていた」のはいつからだったのか問題

昨日書いた日記が案の定一部の人からちょっと怒られていて、めんどくs――じゃなくて恐縮しています。ごめんなさいごめんなさい。



多文化主義は人種差別主義者たちの最後の砦 - maukitiの日記
まぁ毎度のことながら人生色々なブコメに対応してもキリがないし、そもそも可燃性の高いネタをいつも通りに適当な書き方で日記ネタにした僕が悪い面はやっぱりあるものの、ただ確かに今読み返しても藁人形っぽい無根拠っぽさがちょっと出ててアレです。
なので折角だし「多文化主義が人種差別主義者の隠れ蓑として使われた」というネタの原典ってどこかなぁと探すことにしました。


以下別に昨日の日記なんて別にどうでもいいという人はごめんなさいの続きを読む。





……ということで記憶をがんばって検索した結果、元ネタはヴァミク・ヴォルカン先生の『誇りと憎悪』でした。そこで国連人権員会下にある「差別防止と少数者保護に関する小委員会」(現「人権促進保護小委員会」)の1992年の報告から、次のように書かれています。

もちろん伝統的な人種差別主義が完全に消滅してしまったわけではないが、現在その主流となっているのは、生物学ではなく人類学に基礎を置き、相違の価値をイデオロギー的に強調するネオ人種差別主義である。たとえば西ヨーロッパでは、中東やインド亜大陸、アフリカなどからの出稼ぎ労働者や新規移民がこの現象の標的とされている。1992年の国連報告書がこう指摘している。

二〇世紀も終わりの現在……人種差別主義のイデオロギーは、さまざまな人間社会を分離しておく必要性を正当化するために、たとえばアフリカやアラブ、アジアなどから来た移民の言語や宗教、精神的・社会的構造、価値体系の独自性を強調する。それは更に、彼らのアイデンティティの維持が彼ら自身の社会の利益となるとさえ主張する。文化的相違に基礎を置いた新しい人種差別主義は、急進的な文化的多元主義を主張することによって、逆説的にも、真に反人種差別主義的であるかのように見せかけ、すべての集団アイデンティティを尊重するかのように振る舞おうとする。

*1

今読み返しても概ね昨日の日記と要旨は沿っているかな。偶に記憶違いでバカなこと書くことあるので油断できないものの、今回はセーフじゃないでしょうか。
1992年時点で既に多文化主義がこんなこと言われていたのだから、その後各地で移民たちが孤立化した結果本来多文化主義であるはずが複数単一文化主義化してしまい*2、ついに2010年メルケルさんが失敗宣言してしまうのもまぁ構図は理解できなくはありませんよね。
『最後の砦』として使った人種差別主義者の長期的勝利かもしれない。



ちなみに上記国連人権委員会の報告書の検索番号は「E/CN.4/Sub.2/1992/11」みたいなのでお暇な人は国連データベースで検索してみるといいんじゃないでしょうか。もしかしたら全く違うことが書いてあるかもしれない、孫引きを信用し過ぎるとコワイしね。
(僕はもちろんチラ裏日記を書く程度でそんなのめんどくさいのでやってない)



可燃性高くなりそうだから避けていた昔の自分をほめてやりたいです。いやでも、こうして本をコピペしただけで日記一回分と考えると楽ではあるかもしれない。初めからこっち書いておけばよかったのにとか言わない。


当日記は多文化主義を応援しています。

*1: ヴァミク・ヴォルカン『誇りと憎悪』P34

*2:こっちはアマルティア・セン先生の言。