旧い意味でのテロリズム実践

虐殺ランキングに新星登場。


シリアが拘束した人たちを「絶滅させようと」 国連報告 - BBCニュース
うーん、まぁ、そうね。

アサド政権も反政府勢力も拘束した人たちに暴力をふるっているが、事案の大半は政府系機関によるもので、政府幹部が暴力を承知し承認していたのは明らかだという。拘束された人たちの多くは、シリア情報機関が管理する場所で起きていると記録されている。
国際調査委のセルジオ・ピネイロ委員長は声明で、「政府関係者は意図的に、捕虜の生命を脅かすほど劣悪な拘束状況を継続させていた。その結果、被収容者の大量死が発生することは認識していた」と非難した。「国策にもとづくこうした行為は、人道に対する罪にあたる絶滅行為である」。

シリアが拘束した人たちを「絶滅させようと」 国連報告 - BBCニュース

こうした「国策」が人類の歴史において珍しいことかというと、悲しいことに、そんなことないわけですよね。今でもネットで時たま話題になる大虐殺数ランキングにおける上位者たちというのは基本的に、まさにこうした「上からのテロリズム」によってこそ実現してきたのだし。


テロリズム」に本来あった意味について。
現代に生きる私たちが一般に想像する意味というのは「下からのテロリズム」、既存の政治体制に敵対し攪乱・打倒することを試みる、がほとんどでしょう。でもこれって元々テロリズムにあった意味とは反対になっているんですよね。*1
そもそもその言葉が最初に使われた時にあった意味というのは「政府による人民に対する威嚇」という上からのテロリズムでありました。時は18世紀末フランス、つまるところロベスピエールの革命独裁時代の恐怖支配=テロ支配の擁護から生まれたものでした。
こうした上からのテロリズムって単純に犠牲者の数で言えば、現代的なそれよりもずっとヤバいわけですよ。ナチスホロコーストや、スターリンの粛清、あるいはポルポトのキリングフィールド等々が証明するように。
まぁ考えてみれば当たり前ですよね。下から弱者たちがやるよりも、上から強者たちがやるほうがずっと効率的です。現代的な下からのテロ行為って、まさしく私たち自身がそれを見た時に感じるように、無実な人たちが被害に遭うことが多く共感よりも嫌悪感の方が強く広まって、大きな広がりにならない。テロリズム信奉者(あるいは過激化する思想集団なんかも同様に)たちが陥る「有効性と願望のギャップ」って社会運動としては致命的なのです。
――しかし上からであればそんな共感も必要ない。
その意味で言えば本邦なんかにも居る頭おかしいレベルの反政府運動家や、あるいは過激な無政府主義者な人たちが言うように、現代的なテロより『政府』こそ恐ろしいのだという理屈には一理あるんですよね。まさにそうした政府こそが大虐殺の担い手となってきたことはしばしばあったから。まぁそれを言ったら、フランスにしろロシアにしろカンボジアにしろ、そうした革命の後にやってきた素人たちの革命独裁政権の方がずっとそうした地平に逝ってしまいやすいとも言えるで語るに落ちてる感はあるんですけど。


ともあれ、シリア内戦の構図って、こうした「上からのテロリズム」と「下からのテロリズム」が同時に起こっている点で、まぁひたすら救いようなく悲劇的ですよね。そりゃ25万人も死んじゃいますわ。虐殺ランキングを今更新したら名前乗っちゃうかもしれないですね。


ただ宇宙船地球号の一員たる私たちにとっては話はそれで終わりではなくて、むしろこうした人類史に残るレベルの悲劇を目の当たりにしながら、しかし同時代に生きる私たちは平和を愛すると同時に、本当に、心の底から、なにがなんでも、「そんなシリアに関わりたくない」と思っているのはまぁなんというか全体として見ればもう笑うしかないような喜劇ではあります。


がんばれ人類。

*1:現代の意味に変化したのは、一般に通説としては19世紀ロシアのナロードナヤ・ヴォーリャという革命集団が最初とされていますけども、この辺は割愛。