素晴らしき共感能力によって「他人のいやがることをします」と言う私たち

ねじれた共感の落とし穴。


「共感」が物事や世界を悪化させる理由 - GIGAZINE
うーん、まぁ、そうね。

共感や感情移入は人間関係をうまくいかせるために重要なものだと言われていますが……
実はモラルの観点から見ると、共感はよいものではなく、世界をより悪い状態にすると言われています。
人は他人に共感すると、他人の身に起きていることをまるで自分のことのように感じます。
そのため、共感は他人を気に掛けたり、他人を助けたりという行動につながります。
ただし、共感は人を盲目にさせ、「長期的に見ると、自分の行動がどのような結果を生み出すのか?」ということについて見落としを生み出すとのこと。

「共感」が物事や世界を悪化させる理由 - GIGAZINE

タイトルにもある結論部分には同意しますけども、ただそんな近視眼的共感が中長期的地獄をもたらす的な回りくどい議論持ち出すまでもなく私たちの持つ『共感』って素晴らしくもおそろしいモノだと思うんですよね。
――何故しばしば私たちの醜い悪性として語られる「他人の不幸でメシがうまい」という地平にたどり着くのかと言えば、そりゃ身も蓋もなく私たちその時の被害者に『共感』しているからでしょう。
共感能力を持つからこそ、私たちは他人の嫌がることをしよう、と思い立つ。


私たちは親しい相手や可哀想な同情すべき被害者たちに対し、喜びや悲しみを自分の事のように共感する。ところが嫌いなアイツに対しては、その人が喜べば地団駄を踏み悔しがるし、逆に苦しめば飯がうまいと草を生やす。
これってどちらも相手に『共感』している、という点ではまったく変わらないわけですよ。共感とは「異なる状況での気持ちを想像する能力」というだけでしかない。ちなみに「あの時ああしておけば」と過去を後悔し自己嫌悪するのも、こうした能力とほとんど同一らしいですね。


ここでメンドくさいのは、かといってじゃあ相手への共感能力を無視しようとすれば、それはそれで「相手は人間ではないから」とまぁホロコーストな虐殺や集団殺戮にも至ってしまうわけで。
――こうした地平に至らない為にも、現代人として最低限持つべき良識として私たちは他人の痛みに敏感(想像する)であるべきと一般には言われている。
相手の気持ちを思いやることが大切なのだ、と。
ところがそうした良識の下に生きる21世紀の私たちだからこそ、むしろより他人の不幸に蜜の味を感じるようになってしまった。知恵の実ならぬ、共感の実を食べてしまった人間は、まさに「他人の嫌がること」を想像できる能力を手に入れた。
他人の不幸でメシがうまいのは、まさに嫌ったり妬んだりしている相手の気持ちにも「もし自分だったら……」と共感しているに他ならないから。


いやぁにんげんってすばらしいよね。