孤立主義者が気候変動問題を嫌う至極当然の理由

目的云々より手段が嫌いな人たち。



トランプ似の前ロンドン市長もトランプも 温暖化懐疑論者なのはなぜか? WEDGE Infinity(ウェッジ)
うーん、まぁ、そうね。

 しかし、その後トランプは立場を大きく変える。2012年のツイートでは「気候変動問題は、米国の競争力を削ぐための中国の陰謀」になり、昨年秋のオバマ大統領の「気候変動問題は世界と米国にとり脅威」との発言に関しては、「私が知る政治史のなかで、最も愚かな発言だ」とまで述べている。いまや、温暖化懐疑論に変わったようだ。最近の演説の発言は次だ「環境保護庁の力を削ぎ、パリ協定を破棄し、オバマ政権の気候変動対策のように仕事を奪う政策を無効にする。国連の温暖化対策に関する支出を全て止める」。

 トランプを嫌うジョンソンも、気候変動、温暖化問題については、トランプと同じ立場だ。EU離脱を主張している有力政治家の大半は温暖化懐疑論の立場と報道されている。もし英国のEU離脱が実現した場合には、英国政府の気候変動問題への取り組みにも変化が生じるとの見方もあるほどだ。

トランプ似の前ロンドン市長もトランプも 温暖化懐疑論者なのはなぜか? WEDGE Infinity(ウェッジ)

もちろん彼らの政治嗜好としての市場万能説を好む要因もあるでしょうけど、むしろその解答へ至る一般的手段を認めたくないからこそ、という面が大きいと個人的には思うんですよね。


つまり、こうした(主に自分へされる)内政干渉を嫌う孤立主義を好む人たちに共通するのは別に環境保護云々といった目的そのものではなくて、むしろその実現の為の『手段』の方だということがしばしばあるわけで。上記トランプさんやボリスさんなんてその典型例じゃないかな。
「地球は一つだが、世界は一つではない」
少し前に国連が出した世界的な環境保護の取り組みの困難さを訴えた言葉に上記のようなモノがありましたけど、この言葉が端的に示しているように、温暖化問題なんかを筆頭にマクロな意味での環境保護を実現する為には、概ねただ一国だけ努力してもどうにもならない事がほとんどであります。
逆説的に環境保護が国際機関(条約)や超国家組織と親和的なのは、必ずそうした国家の枠組みを超えた協力体制が必要になっていくから。こういうことから世界政府の第一歩は、こうした環境保護活動である、とまでいう人も結構居たりするんですよね。


そりゃ他国からアレコレ言われたくない反国際主義な人たちは、環境保護活動から距離を置こうとする、あるいはその脅威を恣意的に小さく言おうとするのは当然でしょう。
あまり擁護になっていない擁護論ですが、少なくとも彼らの一部は何も「地球環境なんてどうなってもいい」からそういうことを言っているのではないのです。まぁどうでもいいとは思っているでしょうけど、むしろその為に払わねばならないコスト=国際的な協力=他国からの理不尽な(と彼らが考える)要求に従わねばならなくなることを恐れている。


上記事例で出てくるトランプさんやボリスさんは、アメリカ撤退やEU撤退を叫ぶ故に、ぶっちゃけ典型的な孤立主義的傾向の帰結として反国際主義なポジションが生まれているだけではないかと思います。だってそこで国際間の協力をしようなんて言ったら持論と矛盾してしまうから。
その意味では、彼らは論理一貫しているとも言えるんですよね。自国の都合こそを最優先したい故に、望まぬ合意に巻き込まれかねない地球温暖化問題にもコミットしない。どっかの極東の国なんて「自身一国の都合だけで」平和が実現されるとでも確信しているのか、自国が国際的な平和維持活動に携わることを拒否しながら――拒否自体は別に単体なら何の問題もない――同時に世界平和を訴えているんだから。


ともあれ、かくして世界規模のグローバルな環境保護運動は、何処のローカルにも必ずある反国際主義の論理によってしばしば頓挫する。いやぁ多国間に渡る環境保護運動ってむずかしいよね。
みなさんはいかがお考えでしょうか?