私たちは侵略している

無慈悲な「グローバル化圧力」の側に立つ日本人たち。


武装集団、日本人残すよう指示 外国人嫌悪と人質証言  :日本経済新聞
「私は日本人、撃たないで」逆効果か【バングラデシュ人質事件】 | ハフポスト
ということで「また」痛ましい事件があったそうで。まぁこの被害者たちの発言に関して色々言われてはいますけども、文字通り生命に関わる最高度緊急事態に陥った人たちの必死の逃走反応という風に見るのが自然だと思うので、正直そこを責めても仕方ないかなぁと。
そりゃ中学生時代の妄想では教室に侵入したテロリストを撃退したり、あるいは死に直面した薩摩人の如く「首おいてけ」することも出来ますけども、普通の現代人にそんなことそうそうできるわけないよね。


ともあれ、でも(日本人が被害にあったという点を除けば)ある意味解りやすい解りやすい『テロ』ではあるかなぁと。

ある従業員は客の日本人男性と共に店の一角にある事務所に逃げ込んだ。実行犯は現地語を話す若者たちで「外国人と異教徒を殺すために来た」と繰り返した。事務所に人がいると気付くと、日本人を残しバングラデシュ人は出るよう指示。その後、銃声が聞こえた。

 一方、トイレに逃げ込んだバングラデシュ人料理人やスタッフは、ジーンズにTシャツ姿で銃を持った実行犯に見つかった。「(バングラデシュの最大民族)ベンガル人は外に出ろ。ベンガル人は殺さない。われわれが殺すのは外国人だけだ」

 料理人がドアから外をのぞくと、食堂の床に外国人とみられる7、8人の遺体があった。

 実行犯は命乞いする人々を次々と殺害。イスラム教の聖典コーラン」の暗唱を求め、できなければ「刃物で痛めつけた」(人質の一人)。

 対照的にバングラデシュ人には愛想が良く、イスラム教徒だと訴える従業員には逃げ出せた人も。治安当局の突入直前、髪を隠すためのヒジャブ(スカーフ)をかぶった女性は解放された。

 実行犯たちは露出度の高い服を着たりアルコールを飲んだりする外国人がイスラムの普及を妨げているとスタッフに不満をぶつけた。

武装集団、日本人残すよう指示 外国人嫌悪と人質証言  :日本経済新聞

女性の扱いや飲酒といった、現地ローカルにある伝統的価値観(宗教)が衰退することへの、無力感から生まれた大博打。こうなったらイチかバチかだ。解りやすい現世利益を訴える西側価値観に対する反発。ここで重要なのはそんな無力感が、結果として彼らの信仰への屈辱に繋がる点にあるわけですよね。だからこそ、彼らはその屈辱に対して激しい怒りを覚える。
ただその程度の度合いはともかくとして、結構どこでもあるお話ではあるんですよ。そうしたローカルな反乱が起きるのは私たち日本ですら例外ではないし*1、逆に日本人がその屈辱を与える側に立つことだって、今回のようにあったりする。
日本人が(本気の善意で)バングラデシュを支援することを、侵略とみなす人たち。その行為は否定できるものの、しかしその構図自体が100%完全に間違っているわけではありませんよね。


宗教や国家あるいは伝統的価値観といった共同体意識=意味体系を持つ人たち。それに囚われる人たちを冷笑的な人びとは笑うわけですけども、やっぱり明白な運命に確信を持てる人たちはある意味幸せな人たちでもあるのでしょう。
少なくとも心を迷わずに生きていけるから。
まぁそこで迷わなすぎても、大目標の為には(他人及び自分の)生命財産など二の次だ、とか言ってしまうんですが。しかし迷い過ぎてもニーチェ大先生のような地平に至ってしまいかねない。


その意味ではやはり欧米諸国の人たちと概ね同様の価値観を信じ、それを途上国なんかへ広める日本人は別に安倍政権やテロとの戦い云々以前から元々同類ではあるんですよね。もちろん本邦一部で叫ぶ声があるように、そうしたリベラルな価値観を何もかもほっぽり出して他人のフリをすることもできますけども、それって端的に言ってリベラルの自殺だよね。
ならばやはり、外国人はバングラデシュを蝕む害虫であった、のか?


こうしたグローバル化と、それに対するローカル反乱の戦いってやっぱり私たち日本人も他人事ではいられないよねぇ。
みなさんはいかがお考えでしょうか?