オオ、タテマエ!

ちょうど色々タイムリーな話題だしね。


なんで日本の歴史は院政とか大御所政治とか引退した人が権力握ってるのどうして? - Togetter
これなー。フランシス・フクヤマ先生の『信なくば立たず』でも、日本の権力史についてほぼ同じことを指摘しているんですよねぇ。日本に昔からあり続けた『権威』と『権力』の分離について。隠居や院政や長老政治のような「実際の権力者」と「名目上の権力者」の不一致を好む――というよりはむしろお隣の中国なんかと違って「そこまで気にしない」日本人たち。
その事例の頂点がまさに天皇制でもあるわけで。
それこそ日本の歴史と言えばごく初期を除いて明治維新までほとんどが、最高権威を名目上の地位に置いといた上で、ひたすら実質の権力の方を握ろうと争ってきた構図でもあるわけで。東西対決はシャレになるけど南北対決だけはかんべんな。歴史の日常でもあったからなのか、私たちは権威と権力が分裂していることに、そこまでの疑問は持たない。
もちろんこうした構造はデメリットとして内乱の原因となることもある一方で、同時に世代交代の容易さというメリットもあるんですよね。老いた権力者がそのまま居座り続けるよりは、まだ半ば強制的な慣習としてのような形で『隠居』させた方がある程度の権限移譲と政治改革が進むから。上記著書の中でフクヤマ先生は、日本が中国より早く近代化にまでたどり着いたのはこうした理由があるからではないか、と指摘しています。


さて置き、ここで逆説として面白いのが、老人たちが「(少なくとも表向き)手放す」ことを習慣にしてきたと言うことは、同時に老いて尚権力に「しがみつく」ことへの嫌悪でもあるわけで。
老害死ねというのは、実は昔からある日本社会伝統の価値観なのかもしれない。


まぁ実際「コイツさっさと隠居すればいいのに」日本伝統的価値観に則ったことを考えたことがある人は少なくないんじゃないでしょうか。