欧米社会で『宗教』が戦う最終防衛ラインの今

「信じるが、そのまま従うとは言っていない」な人たちへの最後の砦。



「各宗教の教徒が『倫理的に許容される』としていること」海外の反応|暇は無味無臭の劇薬
この調査結果って面白いなぁと。

Comment by [deleted] 3 ポイント

注目すべきはそれぞれの教義が倫理的に許容されると信者に語っていることよりも、自分の意見を通している信者が多いって事

「神のことは信じている。ただ神は俺がどうこうするべきとは言うな」って感じか。

宗教の興味深い側面。

「各宗教の教徒が『倫理的に許容される』としていること」海外の反応|暇は無味無臭の劇薬

つまり、これってある意味で典型的な欧米世俗社会の姿だと思うんですよね。宗教教義は個人の実際の行動を束縛するものではないと少なくない人たちが考えていて、むしろ宗教教義を実生活にまで持ち込む人は「熱心な」信仰者であり決してそれが標準だとは決して言えない、のだと。
欧米的価値観における世俗主義の根幹について。


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この辺は以前からちょくちょく書いてきたお話ではありますが、上記アンケートの質問内容なんかを見ると解るように、宗教規範は今、現代社会の人びとへの影響力競争において、文字通り「最後の戦い」をしているんだと思うんですよね。現代社会において「保守的」とされるバチカンの中の人たちなんかが『世俗』と戦っているのって、政治権力じゃなくてこうした人々の価値観への影響力だったりするわけで。
――おはようからおやすみまで、人びとは神の教えに従って生きるべきである。
イスラムと違って政治的に去勢されたキリスト教の大多数において、最早、食事について等の生活規範はほぼ個人の自由として切り離されている。人生哲学・倫理に深く踏み込むような重要なテーマ=生死についてはまだギリギリその限りではないが、それ以外の生活に関わる宗教規範を守るのが自由であるのと同様に、守らないのも等しく「個人の」自由である、ことになってしまった。


欧米社会にある反イスラム的な感情がタテマエとは裏腹に事実上許容されているように見えるのって、むしろこうした『非世俗』な人たちへの奇異の目、という要因が実は半分くらい占めているのではないかなぁと思ったりします。もちろんそれは例えばアメリカで言えば宗教規範と実生活を結び付けるモルモンな人たちにも同様に向けられていて、しかしだからこそ、その奇異な人たちへの視線がごく当たり前の感情として欧米の世俗社会に内包されることになる。
どちらがより優れているかとかはまぁともかくとして、しかしこの根本価値観の隔絶って色々と根が深い問題ではないかなぁと。そしてヨーロッパではそうした基本的な立ち位置(=世俗主義と非世俗主義のような)ギャップを解決できないからこそ、多文化主義は行き詰ったわけで。



宗教教義は、現代人の実際の行動をどこまで制約しても許されるのか。
みなさんはいかがお考えでしょうか?