正しい意味での『進化』した民主主義へ

陰謀論に根を下ろし風説と共に生きよう 主観的真実と共に異論を封じ デマと共に民主主義を歌おう


誇大広告だと怒られない程度に話を盛る能力 - maukitiの日記
ということで承前で、
なぜネット上にはデマや陰謀論がはびこり、科学の知見は消えていくのか:研究結果|WIRED.jp
タイミングよく関連した話題が出ていたのでもうちょっとだけ。

では、どうすれば、世の中にはびこるデマや陰謀論を排除し、社会に必要な情報を伝えていけるのだろうか? 

「確証バイアスの説得力は非常に強いものです。一度、個人が彼らにとっての“真実”を見出したが最後、外からの意見や、反論には耳を傾けなくなります」と、クアトロチョッキは「World Economic Forum」のインタヴューで答えている。おそらく、“どのように”情報を伝えていくかが重要なのだ、と彼は推測するが、残念ながら、いまのところいちばん聞きたい問いに対する答えはない。それは、研究グループが次の実験により解明していきたいものだとしている。

なぜネット上にはデマや陰謀論がはびこり、科学の知見は消えていくのか:研究結果|WIRED.jp

「おそらく、“どのように”情報を伝えていくかが重要なのだ、と彼は推測するが、残念ながら、いまのところいちばん聞きたい問いに対する答えはない」
お、おう、まぁそれを言ったらやっぱりみつをオチになってしまいますよね。私たちは知りたい情報を出来るだけ手軽に知りたい、しょうがないよね、にんげんだもの


「正しく」情報を伝えるやり方について。
ここでひたすらめんどくさいのは、この情報伝達って上記リンク先でも指摘されているような「同質性」「エコーチェンバー」「確証バイアス」という『受け手』側の問題がある一方で、同時にまた送り手側の問題でもあるわけですよね。敢えて『受け手』が望むようなことを言う人たち。
――まぁネットだけで済んでいたらそれはそれで良かったんですよ。
ところが私たち日本含む現代先進国社会で問題になっているのって、こうした情報伝達において「デマ」あるいは「話を盛る」性質が政治分野にまで進出してきていてマジヤバイという構図があったりするわけですよね。それこそトランプさんであったり、ブリグジットなんかはその典型でもあったわけで。


ちょうどこちらもタイミングよく16日の読売新聞紙面の『地球を読む』で細谷先生がそうした議論について述べておりました。

今や政治の世界では、虚偽を語っても検証されず、批判もされない。真実を語ることはもはや重要ではなくなってきている。
たとえ虚偽を語ってもそれが「誇張」だったと弁明し、「言い間違い」をしたとごまかせば、許容される。政治家は、自らの正義を実現するために堂々と虚偽を語るようになった。今ではそれが、「スピン(情報操作)」として正当化され、日常化している。

東京に人が住めない町になるとか、在日ナントカがテロを起こすのを知っていたりとか、あるいは軍靴の音が聞こえたりする人たちは、まぁ本邦にも左右問わず一杯いるわけで。
「真実後の政治」な世界に生きる私たち。
もちろんこうした手法は言ってしまえば使い古された手法でもあって、それこそ民主主義の歴史そのものでもあります。アメリカ国民がイラク戦争を望んだように、私たち日本だって八紘一宇だの腰抜け東条だの鬼畜米英だのと言っていたわけだし。
もしかしたらこれは退化ではなく、より(ネットの発達によって更に表面化した)私たち人間の性質に適切に噛みあった民主主義への進化――もちろん進歩とも発展とは絶対に言えない――なのかもしれない。。



ということで、これこそが新たな民主主義の形だと諦めることも肝心なのかもしれないね。
フクヤマ先生の言うような歴史は結局終わらずに、むしろ環境に適応した進化としての「新しい民主主義」へ。


みなさんはいかがお考えでしょうか?