(政治的)保護主義の行き着く果て

今度はブロック化の勢力圏選びに失敗しないようにしたいね。



「最後のメッセージです」アレッポ市民がTwitterに投稿した別れの言葉 | ハフポスト
ということで先日も少し日記ネタにしたアレッポ最終局面ではありますが、案の定人が死にまくっているそうで。日記でも書いたように、こうした掃討戦ってまぁ悲しいかな戦争の常ではあるものの、しかし現代世界においてまた違った意味合いを持っているのはやはりその『声』がダイレクトに私たちに届いてしまうという点なのでしょう。
例によって例のごとく、事実だけでなくデマも同様に広まっているようで、やっぱりそれが良いことなのか悪いことなのかは僕にはわかりませんけど。


ともあれ、まぁでもこの結果について、必然だったとまでは言いませんが私たちの「選択の結果」だと言う事を否定することはできないと思うんですよね。

赤十字国際委員会 (ICRC)は12日、アレッポに住む一般市民を保護し、命を助けるために最善を尽くすと声明を出した。紛争に巻き込まれた人々が「文字どおり、どこにも逃げ場がない」状況に陥っていると述べ、戦争法や国際人道法が定める基本的なルールが遵守されない限り、人権損害の悪化とさらなる人命の損失は免れないとしている。

国連は、アレッポでは「人権が完全にメルトダウンした」と非難した。親アサド派の兵士らが民家に侵入し、女性や子供を含む数十人の市民を殺害したと報じられている。

AP通信は、シリアのバッシャール・アサド大統領にとって、アレッポ奪還はこれまでの内戦を通して最大の勝利となるだろうと報じた。

「最後のメッセージです」アレッポ市民がTwitterに投稿した別れの言葉 | ハフポスト

つまるところ私たちは――アフガニスタンイラクの失敗の適切な教訓として――シリアを事実上見捨てることを選んだのだから。政治的保護主義の極致として、シリアのことなんかもう知らないと見ないフリをすることに決めた。
もちろん私たち一人一人の有権者が積極的にその政策を支持したわけではないでしょう。しかし口では「シリアに平和あれ」と言いながらも、自国政府が積極的に現地何かをしてくれるのもまた事実上拒否していたのだし。かの地の平和よりも、自国兵士の命の方が、それに掛かる予算の方が、あるいは「我ら平和国家」という建前の方が、大事だったんだから仕方ないよね。
私たち日本人について言い訳させてもらえれば、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」しているのだから、何もしなくても仕方ないよね。世界を信頼しているからセーフなのだ。


そんな自称平和国家日本という例外はさて置くとして、「保護主義が何故悪いのか?」というのは特にグローバル化のデメリットが語られる21世紀現代世界において頻出するようになったテーマではあります。なぜ第二次大戦後に「保護主義こそが悪である」という考えがヨーロッパを中心に生まれたのかというと、それと地続きな自国中心主義が国際関係の領域にまで波及した時に破滅的な結果をもたらしかねない、という点が前提にあったわけですよ。
――自国・勢力圏さえ良ければ他国なんてどうなってもいい、なんて。
まぁそうした考えのもとに戦後世界で発展しまくった経済グローバル化も結果として「貧乏人がどれだけ苦しもうが自分たちさえ良ければそれでいい」という所に行き着き、保護主義が見直されつつある現状はホント何をやってもバッドエンドにしか辿りつかない超難度ゲームみたいで笑うしかないんですけど。人類は何か致命的なフラグ立てに失敗しているのか、それとも根本的にバグってクリア不可能なのかもしれないね。


以前も少し日記ネタにしましたけど、次の(政治的)保護主義のステップとしては『ミュンヘン会談』――独裁者と平和的妥協を成功させたと自己宣伝しつつ――で悪の独裁者と批判していた人たちとにっこり記念撮影かな。
「この合意によって私たちは恒久平和を手に入れたのだ!」


それでも、こうした海外の『生の声』が私たち一般市民にまで聞こえてくることが歴史上なかった異常事態なのであって、もしかしたらやはり何もしないのが正解なのかもしれない。一時の感情に流されて行動した結果失敗することだって、頭が痛くなるほど過去に事例があるわけだしね。
最初に「それが良いことなのか悪いことなのかは僕にはわかりませんけど」と書きましたけど、こんなことなら知らない方がマシだったかも。


みなさんはいかがお考えでしょうか?