狼を見つけ過ぎた少年たち

「今年もどくさいスイッチが押されるぞー!」




米メディアはなぜヒトラーを止められなかったか | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
うーん、まぁ、そうね。トランプさんの登場と併せてこういうこと書くのは色々愉快なお話ではあります。

「未来の独裁者を見破れる人などいない」と彼女は1935年に語っている。「ヒトラーのような男は決して政策綱領に独裁と書いて立候補はしない。常に、自分は国民の総意に基づく代表者なのだと訴える」。ヒトラーを見くびった教訓をアメリカに当てはめて、彼女はこんな言葉も残した。「独裁者が現れるとしたら、きっとどこにでもいたような少年たちで、伝統的なアメリカ的価値観を象徴するような人物だろう」

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水晶玉などない私たちの悲劇。そりゃそうだよね。詐欺師はいつだって「貴方をダマしますよ」と言って近づいてくるのではなく、味方の顔してやってくるのだし。はじめから解りやすく独裁者の顔をして近づくほど無能であれば良かったのにね。でもそんな無能ではそもそも独裁できるほどの地位にはたどり着けないのだった。


さて置き、他国のお話ではありますがこうしたお話の上で現代のメディア世界を見ていて面白いのは、ヒトラーという「独裁者出現の看過」を絶対に忘れてはならない歴史の教訓としているのか、あるいはジャーナリズムな正義感からなのか、それとも単純にマッチポンプしてるだけなのか、むしろ現代社会における政治への批判として『すわ独裁者か!?』というのはありふれた――最早定型と化したメディアの声でもある点ですよね。トランプさん騒動は、最終的に勝ってしまったという驚愕はあったものの、ああした批判自体は珍しくない。
「次の政権もおおかみがやってくるぞー!」
常用し過ぎて、もう気に入らない政治家は誰でも「どくさいしゃ!」と叫ぶ風潮すらある。
もちろん出てくる政治家全てに「独裁者だ!」とレッテルを貼ることで、人びとの注意喚起を促すことはできるでしょう。どれだけ意味があるかはわかりませんが。壊れた時計が一日に二度正しい時間を示す程度、にはあるかもしれないね。
どちらにしても、そんな風に反応感度が壊れたようにしか見えない警報装置を、私たちがどう扱うかというと……。


トランプさんを筆頭にポピュリストな政治家の登場って、そうした間隙を突いてきた、という点は無視できないわけで。CNNなど大手メディアが偏向していない、わけじゃ決してない。現代民主主義政治におけるマスメディアの影響力が大きくなればなるほど、その瑕疵も相対的に大きく扱われるようになった。これも典型的な詐欺の手口ではありますが、より説得力を持たせるために重要なのは、何も1から10まで全部ウソを言うわけじゃないんですよね。大手メディアはウソをつく、ことももちろんある。にんげんだものね。
皮肉なことにこれまでのメディアの各種行状が、大義名分とまでは言いませんが、ポピュリストたちの言葉に「多少の」説得力を持たせてしまっている。



何か些細な兆候を捕えてはヒトラーメタファーに持ち込もうとするメディアの中の人たち。そしてそれがポピュリストたちの餌になる。この有象無象の独裁者メタファー溢れたメディア世界に救いはあるのか。
いやぁヒトラーを止められなかった教訓が重すぎるよね。


みなさんはいかがお考えでしょうか?