私たちは『肉体労働からの解放』に喜べばいいのか悲しめばいいのか

ロボットの進歩が仕事を奪うのが早いか、それとも人間が教育によって新たな次の仕事を得るのが早いか。


「人に取って代わるロボットに課税すべき」「技術革新に熱狂せずただ恐れるのは良くない」とビル・ゲイツが語る - GIGAZINE
うーん、まぁ、そうねぇ。もしホントにそうなったらいいねと、基本的には同意するお話ではあるんですけども。

ある分野におけるロボットが人を代替するペースは閾値を一気に超えます。倉庫作業、運転、ルームクリーニングなどは今後の20年間で意味を失う職種です。これらの職種に就く人を意味ある存在にすることこそが、純粋な利益になります。そうできるような政策を持つことが重要です。

「人に取って代わるロボットに課税すべき」「技術革新に熱狂せずただ恐れるのは良くない」とビル・ゲイツが語る - GIGAZINE

この辺は有名な古典でもある『マルサスの罠』を彷彿とさせるお話ではありますよね。現代風に言い換えると次のような感じでしょうか。

  • 「人口は制限されなければ幾何級数的に増加するが、生活資源は算術級数的にしか増加しないので、生活資源は必ず不足する」
  • 「ロボットの能力は幾何級数的に増加するが、人間の能力は算術数的にしか増加しないので、仕事は必ず不足する」

もちろんゲイツさんの言うことは理論的には正しいわけですよ。昔から言われているように、他の仕事に就けばいい。身も蓋もないお話。
でも当たり前の話ながら、そんなロボットとの戦いに敗れ再教育された人たちが「次に」戦うのは、元からそうした教育を受け適応した若い世代でもあるわけで。これって永遠に終わらない戦いが始まるだけじゃないのかと。いやもう始まってるのかもしれませんけど。
古いラッダイト時代にもあった技術進歩によって生産性が向上し必要な頭数自体は減ったものの、しかし同時に技術進歩によって人間の仕事も多様化しその余剰分を新たな分野の労働者として受け入れるだけの雇用は確かに創出された、というのは概ね正しいでしょう。少なくともこれまでは。
果たして今後もそんな技術進歩の一環として、より万能なロボットが進化し人間たちを労働から駆逐していくスピードに、私たち人間の能力発展は追いつけるのか?


上記ゲイツさんはそれを教育によって可能だと言う。まるで福音のように響く明るい未来。
結局マルサスさんの予言した限界は存在しなかった。では「ゲイツの福音」は?


もういっそそんな『限界』を乗り越えるのに一役*1買ったハーバーボッシュ法の化学的窒素固定法の如く、知恵や技術を人間の脳に科学的固定化させる方法を生み出すしかないね。そうすれば少なくともロボットの進歩スピードと同等程度には追いつけるかもしれない。
おっそろしいSF的未来しか見えない。
このSFアイディアどっかで見た既視感あるなぁと思ったら長谷敏司先生の『My Humanity』でした。脳神経へ直接行う経験伝達という新技術によって、人びとに「教育する手間を省いて」誰でもある種の熟練労働を可能とすることから始まるお話。
個人的な読書感想としては、実現したとしてもそこまでして働かなくちゃいけないんかい、というモノでしたけど。でも確かにそれ位しないとロボットに追いつけないよなぁとは思ったりします。


基本的には喜ぶべき人類にとっての「肉体労働からの解放」だったはずが、しかしそれ故にまた頭を悩ますことになる私たち。ぶっちゃけ上記にも書いたように教育だけで追いつけるのかというと……。もちろんそれが出来る人は一定割合で存在する一方で、その教育に落第する人も確実に存在することになる。その割合こそ重要だと言うのはまぁその通りなんでしょう。どっちみち全員を救うのは無理だしね。
ゲイツさんのように才能ある人たちにとっては基本的には無縁なお話であるので、そうした人たちが悩んでくれるだけでもありがたいお話ではあるんですけど。


果たしてロボットたちは、人間を労働から解放しているのか、それとも駆逐しているのか。
みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:ちなみに他の要因としては「リン鉱山」「内燃機関」「品種改良」等々。