よかった、これで今日も国連は分裂せずに済んだんだ

『拒否権』というすばらシステム。


社説:安保理でシリア決議案否決 身勝手すぎる露の拒否権 - 毎日新聞
そういえばシリアでの化学兵器騒動で、ロシアさんちが案の定拒否権を使ったそうで。まぁここ数年見慣れたいつもの展開ではありますよね。

シリアに関する国連安全保障理事会の決議案が、ロシアの拒否権行使で否決された。

 シリアをめぐる安保理決議案にロシアが拒否権を行使したのは8回目だ。国際平和に責任を負う安保理常任理事国が権力を乱用することは許されない。

社説:安保理でシリア決議案否決 身勝手すぎる露の拒否権 - 毎日新聞

毎日新聞の中の人はお怒りですけども、でもまぁ実際に『国連』の中の人たちからすれば助かった感はやっぱりあると思うんですよね。だってこれでシリア問題で国連が何かをする状況を避けることができたわけだから。米露の利害が対立する中で国連が何かを出来るなんて、実際にこれまでのシリアでそうだったように――なんちゃら国連大使とかジュネーブ会議とかいっぱいありました――まぁありえないよね。ただただ無能を晒すよりは初めから何も取り組まないフリを続ける方がマシだ、というのは私たちミクロな個人の振る舞いからマクロな組織論まで悲しくもあるあるなお話でもあるし。
かくして国連は根本的な無力さを露呈させずに、存在意義を確保し続けることができたのだ。


そもそも論で言えば、国連は国家間の既存秩序を安定させるものとして生まれ、根本的には新しい世界秩序を創造するために生まれたわけではないわけで。
そしてその現状とは、(拒否権を持つような)大国たちが望む現状=均衡状態でもある。


現状を維持するべきか。それとも、毎日新聞が言うようにただ維持するのではなく「(誰かにとっての)より良い現状」を目指すべきか。冷戦後に生まれた国連改革の機運は、明確に後者を目指していたわけですけども、しかしその流れは喜ぶべきか悲しむべきか時間切れで萎みつつある。国家主権こそ不可侵であるのだという伝統的価値観と共に。


今回も正しく国連は拒否権の「せいで」か「おかげ」か、「何もしない」という役割を果たしただけ。なので今更『拒否権』どうこう言うよりは、国連改革の事実上失敗を嘆いた方がマシかもしれないと個人的には思ったりします。まぁそれはそれで、中途半端にやって失敗したら拒否権が担保してきた国連の存在意義自体の疑義にまで繋がってしまう可能もあったので、それこそ今の何もしない方がまだマシというオチかもしれませんけど。


大国の拒否権、そして国連自体の存在意義について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?