剣よりもペンよりも強きもの

まぁこっちも広義のペンではあるかもしれない。


http://paradoxin.net/archives/4784
うーん、まぁ、そうね。批判自体は概ね正論でもありますけども、それこそが現代世界におけるマスコミの世論誘導の最強の武器でもあったので、殊更にトランプさんだけどうこうっていうお話でもないよね。今更それを批判されてもダブルスタンダード感。それこそ湾岸戦争では重油まみれの鳥やクウェートの病院略奪が、ユーゴスラビアでは鉄条網の向こうの痩せた男性が、アフガンイラクではマララさんのようなイスラム過激派に弾圧される女性たちが、最近の例ではギリシャ海岸で溺死した子供が、(デマや誇張や扇動された)かわいそうな『絵』によって人々の感情に訴えてきたのだし。
実際、先日の日記でも書いた「感情が科学的論拠に打ち勝つ」な構図はこういう時こそ生まれるモノでもあります。
――私たちは視覚的な『絵』が見せつける説得力に、背後の文脈を無視して飛びついてしまう。
アンドリュー・パーカー先生なんかは目の獲得こそ、私たちが生物としての地球上で支配的な存在となる決定的なステップの一つとなったと『眼の誕生』で仰っていましたけども、そう考えると視覚情報に弱いのは私たち人間が持つ生物としての業とすら言えるかもしれない。


共同記者、取材断られ壁蹴る=住民が動画公開−千葉女児殺害:時事ドットコム
関連して視覚情報の持つ影響力として面白かったお話が、共同通信記者さんの犯行ということでオチがついていたこのニュースであります。まぁこの騒動も興味深かったなぁと。誰でも動画を撮れ「尚且つ」それを公開できる現代社会の特性の縮図という感じ。

この住民が16日、男性記者が壁を蹴る様子が映った動画をツイッターで公開。記者がインターホン越しに取材を申し込もうとして断られ、立ち去り際に後ろ向きに門柱付近の壁を蹴る様子が映っている。住民は「良識的な取材を切に願います」と書き込んだ。

http://www.jiji.com/jc/article?k=2017041700932&g=soc

ただ「壁を蹴った」という文面だけじゃここまで盛り上がらなかったでしょう。より直感的に理解できる絵が持つ、圧倒的な説得力。多分この動画を見た人はほとんどだれでも「うわーチンピラだ」と思うんじゃないかな。今は昔であるブン屋そのままに。
マスコミの人たち自身すら、それまで特権的にあった『絵』が持つ影響力に晒されるようになっている。某ライフル協会じゃありませんけど、お互いにそれを突きつけあっている時こそ平穏を担保できる、と言うのは今回の顛末を見ると一理あるかもしれないとは思ったりします。


絵(動画)はペンよりも強し。
みなさんはいかがお考えでしょうか?