域内平和と域内統合の均衡点

「ヨーロッパとはどこからどこまでか?」の定義問題へ。



英国からボスポラスまで、中核に引きこもる欧州 統合強化の夢を脅かすブレグジットと「拡大疲れ」 | JBpress(日本ビジネスプレス)
うーん、まぁ、そうね。

欧州は、文化的ではなく政治的な意味で、1200年前のカロリング帝国を中核とする地域に縮小しようとしている。それがなぜか理解するためには、トルコやバルカン諸国、英国などでの最近の出来事について考えるといい。

英国からボスポラスまで、中核に引きこもる欧州 統合強化の夢を脅かすブレグジットと「拡大疲れ」 | JBpress(日本ビジネスプレス)

元々の欧州連合の目的のひとつ=ヨーロッパの平和という観点では、少なくともかなり成功しているにもかかわらず、という点を考えるとやはり面白い展開ではあるかなぁと。おそらく、ローマ以来もっとも(戦争の危険がないという意味で)平和な時代であることは間違いない現代のヨーロッパ。
それは欧州連合という国境を越えた協力関係を進めることで、よりオープンな国際関係を実現したことにある。最早ヨーロッパ内での戦争なんて考えられない。
エカテリーナ大帝じゃありませんが『国境を守るには、国境を広げる以外に方法はない』というのには一理あるわけですよ。同じ仲間、ヨーロッパ統合に加わる国が多ければ多いほど、ヨーロッパは「より」平和となっていく。理論的には世界全てがヨーロッパと同じようになれば、世界平和だって実現できるかもしれない。


そんな信念の下に突っ走ってきた彼らではありますが、皮肉というか必然の帰結というか、我々は同胞であるとの概念(国境線)を外に広げ過ぎた結果、今度は内側に新たな断層線を生んでしまっているわけですよね。自分のことをヨーロッパ市民だと考えられる人たちと、そうはならなかった人たち。
『国家』がもたらしていた共同体意識の源泉を、次のステージであるEUにしようと人たちの試みは限界を迎えつつある
まぁそうしようとした気持ちは理解できます。かつては血縁・地縁・宗教そして国家によって生み出してきたのだから、新しいモノを見つけることだって不可能ではない。理論的には正しい。そうした共同体意識は、例えそれが幻想であろうと危機に際して最後の最後には助けてくれるだろうという安心感の「拠り所」と信じられればこそ、ではあるんですが悲しいかな欧州連合はその役割を果たせなかった。


外交政策として平和が成功し過ぎた結果、彼らは国内政治の困難に陥り縮小が議論されるようになっている。やはり端から見る分には愉快なジレンマですよね。もちろん平和は大事だけれども、かといってそれが全てという訳でも絶対にない。
更なる平和は諦めるべきなのか、それとも国内政治社会における不和は諦めるべきなのか。
少なくともかなりの面――上記リンク先の言葉を借りればカロリング帝国を中核とする地域――では平和は実現できているのだから、今後はスピードを緩めるべきだという意見はかなりの面で正解ではあるのでしょう。


ところがそれを認めるという事は、つまり、ヨーロッパ域外での平和を諦めるという事でもある。そして当然その周縁・あるいはその影響を否応なく受ける境界線上の国たちは納得しない。だって国境線を広げれば広げるほど安全になるのだから。



域内平和と域内統合の均衡点、つまり『ヨーロッパ』の範囲についての合意点は果たしてどこにあるのでしょうね。
みなさんはいかがお考えでしょうか?