To be or not to be , that is a question

受け入れるべきか、ラッダイトすべきか。


「ドライバー要らずの自動運転カーはインドで走らせない」とインドの交通大臣が発言 - GIGAZINE
難しいお話ではありますよね。そこまで深く考えた発言というよりは、単に業界票など有権者ウケを考えただけっていうオチの方がありそうなので、正しく民主主義政治なインドらしいお話なのかもしれない。やっぱり『規制』を望む既得権益という本邦含むどこでもよくある風景。

主要先進国で開発が進められる自動運転カーですが、その技術の信頼性問題に加えて懸念されているのが、インドのように人々の雇用を失いかねない問題といえます。「世界4大会計事務所」の1つに数えられるプライスウォーターハウスクーパースでオートモーティブ部門を率いるアブドゥル・マジード氏は「現在、失業率の悪化は大きな問題となっていますが、新しい技術の規制ばかりを行えばいいというものではありません。コンピューターが世の中に登場した時にも、同じような議論が巻き起こりました。重要なのは、適切なバランスを持つことです。技術は社会と共存しなければなりません」と語っています。

「ドライバー要らずの自動運転カーはインドで走らせない」とインドの交通大臣が発言 - GIGAZINE

面白いと思うのはこうした新機軸や変革への圧力に対する反発って社会によって様々な所かなぁと。それは改革や新機軸の必要性切迫性による圧力の強弱というだけなく、上記民主主義政治の定着だけでなく宗教や文化や伝統やといった既存制度や現地住民感情による反発の構造といった面も大きく左右されるわけで。
そして、こうした『変革』を受け入れることになる大きな要因のもう一つが今回のインドのように「人件費」でもあります。
当然、それまで人間の手でやってきた仕事を機械に任せるというのは、そこでは人間よりも機械の方が安いからという当たり前の計算が存在している。もしそこで逆であれば人間の手でやった方が安いとなってしまう。しばしば、新技術がより高賃金な社会で定着するのはこうした当たり前の現実があるわけで。
その意味で、高賃金こそ未来世界へのチケットである、というのはまぁあんまり間違っていなかったりする。本邦のドレイと揶揄されるような低賃金労働を考えると色々と考えてしますお話ではあります。


ともあれ、こうしてインドのように(日本も近いかもしれない)拒否する姿勢を見せる社会がある一方で、逆にそれにハードルが低そうな社会もあるわけで。そんな様々な「しがらみのない」を地でいっているのが現代中国さんちでもあるんですよね。既に挑戦的な電子決済システムなんかが既に話題になっていたりして。
いよいよ人件費高騰に直面しつつある現代中国さんではありますが、しかし同時にそれはチャンスでもある。自動運転にしろAIにしろ、むしろ実験的技術導入の先頭を行くのはやっぱり中国なのだろうなぁ。遅いインドと速い中国。この辺はどちらも未来の大国と称された、中国とインドの典型的な対照性でもあります。
中国で政府が住民に対してスマートフォンに「監視アプリ」のインストールを強要 - GIGAZINE
でも逆にその「何でもアリ」というのは、こういうアレな方向でも新技術実行の強行ができちゃうんですけど。インドのような拒否は、こうしたディストピアへの抵抗となるかもしれない。
ラッダイトはやっぱり正しかったんだ!
――まぁ同時にそれはいつまでも奴隷労働にこだわろうとする某南部連合のような振る舞いでもあるんですけど。



いやぁ新技術に対する距離感って難しいですよね。みなさんはいかがお考えでしょうか?